怖い部分があるから練習する。不安が迫ってくるから、それを練習して少しでもかき消してやる。でも、プロはしっかり練習してナンボだから、ただ不安をかき消すためではなくて、これまでと違うものを見せていかなければならない。そのためには突き詰めていかないと。
プロレスに限らず、突き詰めていかないと物事に対して自信がつかないですよ。だから、これくらいやらないと小橋のプロレスはできないんだという気概で練習に挑んでいたけど、それが難しくなってしまった。なかなか、その現実を認められなかったですけどね。
2カ月悩んだ末に、引退を決意した小橋。そこには、「もし自分に何かあった時に、三沢さんの死がムダになってしまう」との思いもあったという。周知のとおり、故三沢光晴は満身創痍の体でリングに上がり続け、09年6月13日、試合中のアクシデントで帰らぬ人となった。
三沢さんの死後、体に爆弾を抱えた選手が、無理して試合に出ることを問題視する議論が起こりました。
それは確かにプロレス界の悪い習慣で、三沢さんのことを教訓にして、自分もリングに立つべきではないと考えたんです。僕はいつもそういうことを覚悟のうえでやっているけど、僕に何かあった場合、ファンの子供たちがプロレスに夢を持てなくなる。プロレスラーを必死にやってきて、最後にそうなってしまうと、プロレスを見る子供の数が少なくなってしまう。プロレスを衰退させるようなことは、絶対にしたくなかったですから。
06年にガンになった時も、医師から「腎臓を1つ取ったんですから無理です」と言われけど、プロレスが好きだから、覚悟を持ってリングに上がった。
でも、今回はもっと深刻で、胸を張ってリングに立てなくなった。そうであれば、リングに上がってはいけない。だから、もう1回だけ、自分の中にケジメ、区切りをつけて次の世界で頑張っていきたいと思ったんです。
10年秋に結婚した演歌歌手のみずき舞さん(38)には、相談ではなく、「もうできない」と伝えた。その時は、何も言わなかったが、みずきさんのブログには、〈今回の決断はこれまで長年にわたって本人が向かい合ってきたことです〉〈充実したプロレス人生に負けない人生を送りたいと思っています!との小橋さんの言葉を大切にしていきたい〉と記されている。
彼女とは、96年に初めて出会って、それ以来「結婚するならこの人」って思っていました。でも、お互いの事情があって、結婚までが長くなったんです。彼女の存在は、三沢さんらも知っていたし、ごく普通にデートもしていたんですけど、写真を撮られることもなかった。たぶん、(秋山)準が変な噂を流すから、みんな、僕が女性に興味がないと思っていたんですかね(苦笑)。
あれにはホントに困りましたよ。中には信用する人もいましたからね、男性で。そのくせ準は、雑誌社の人には「いつも小橋さんが最初に袋(とじ)を破くんですよ」とか言ってるから、言葉に矛盾がありますよね(苦笑)。