あの売れっ子歌手に、一糸まとわぬ「意外なベッドシーン」があったとは! その時、ドラマチックな歌声は悩ましい吐息に変わった──。
ラグビーW杯の日本初開催に合わせ、麻倉未稀(59)が歌う「ヒーロー」(84年)が、たびたびメディアで使われた。ラグビーブームの原点であるドラマ「スクール☆ウォーズ」(84~85年、TBS系)の主題歌だった縁で復活したのだ。麻倉はパワフルな歌声だけでなく、160センチ、B90・W60・H88という肉感的なプロポーションを持つ。ベッドシーンに詳しい映画ライター・松井修氏によれば、90年代のヘア写真集がバブルとなった時期に、麻倉のようなヒット曲を持つ完熟した女性の歌手が重宝されたという。写真集だけでなく、95年には「卍舞2妖艶三女濡れ絵巻」(東映ビデオ)で初カラミにも。松井氏によれば、一瞬だが、峰岸徹に犯される場面でバストトップも見えており、いかにも肉感的な女性の体つきだったという。
96年に「PRIDE」がミリオンセラーになった今井美樹(56)は、女優と歌手をほぼ同時にスタートさせた。86年の映画初出演作「犬死にせしもの」(松竹)は、井筒和幸監督作。ここに貴重な今井の全脱ぎシーンがある。今井はヤクザの情婦役。海賊たちに捕まって、浜辺で全脱ぎした姿での写真を撮られるというシーンがあある。「胸は決して大きくない」(松井氏)が、ヒップの割れ目からカメラが前に回って、しっかりバストトップまで映している。その後のアーティスト活動を思えば、最初で最後の大胆シーンであったことは間違いない。
小川知子(70)は、デビュー曲「ゆうべの秘密」(68年)が1位に輝くなど数多くのヒット曲を持つが、実は女優のほうが出発点。
「東映の専属女優でしたが、まだ10代なのに『大奥シリーズ』で脱がされそうになったことがイヤで飛び出し、歌手として脚光を浴びました」(松井氏)
ところが、小川は再び銀幕に戻り、それまで拒んでいた全脱ぎシーンを披露。71年公開の「されどわれらが日々より 別れの詩」(東宝)でのことである。学生運動の挫折をテーマにした作品で、小川はフィアンセ役の山口崇とのベッドシーンに挑んだ。シーツにくるまれながらも、対面した体勢から重なると細身ではあるがバストがはっきり見えているという。
80年代に陰のある女優として注目され、カバー曲「ダンスはうまく踊れない」(82年)が30万枚のヒットになったのは高樹澪(59)。銀行員から転身しての女優デビューだったが、桑田佳祐プロデュースの「モーニング・ムーンは粗雑に」(81年、アミューズ)では、いきなり完脱ぎ。
「細いのに胸は大きくて、20代前半の最もいい時期をフィルムに焼きつけた形です」(松井氏)
最後は、アイドル歌手からスタートし、モデルでもカリスマ的存在になった小林麻美(65)に登場願おう。84年にカバー曲「雨音はショパンの調べ」がナンバーワンヒットを記録したが、初脱ぎは「真夜中の招待状」(81年、松竹)に遡る。
小林薫とのベッドシーンでのけぞり、悩ましい表情に。カメラが天井からの角度になると、小ぶりな胸と小豆大のバストトップもくっきりと映し出された。当時の数少ない脱ぎ姿のグラビアは、今なお高値で売買されているという。