かつて、日本中が「誰が賞を獲る?」と固唾を飲んだ時代があった。国民的行事で注目を浴びたレコード大賞や歌謡大賞の受賞者にも、火の出るようなベッドシーンの過去があった!
85年、86年と連続で「日本レコード大賞」を制した中森明菜(54)は、女優としても数々の功績を残した。月9のヒロインになった「素顔のままで」(92年、フジテレビ系)は、最高視聴率31.9%を記録する。同ドラマは安田成美との友情がテーマだったが、翌93年のスペシャルドラマ「悪女II サンテミリオン殺人事件」(フジ系)では、妖艶な女に扮した。年下の恋人(保阪尚希)とのベッドシーンでは、シーツにくるまったままだが、隠れ爆裂バストと言われた胸の膨らみもはっきりわかる。正常位からみずからが上になってディープキスを交わす。
「ベッドの中で服を着ていたら不自然でしょ」
明菜は当時、そうコメントしたように、すべてを脱ぎ去って撮影に臨んでいたのだ。
レコ大で初めてヤングポップスが大賞を制したのは、黛ジュン(71)の「天使の誘惑」(68年)だった。ミニ丈スカート姿で振りまく健康的な笑顔が特徴だった。
それから15年後、黛は日活の成人向け映画「女帝」(83年)の主演で話題となる。三越の女帝と言われた竹久みち氏をモデルに、実録タッチの異色作となったが、完熟した女性となった黛のラブシーンはふんだんにあった。
「映画館を男の人のアレまみれにしてみせますわ」
公開の舞台挨拶で豪語したのは、さすが大賞受賞歌手の貫禄である。
レコ大史上、空前の逆転劇と呼ばれたのが「喝采」(72年)のちあきなおみ(72)である。ドラマチックな曲の構成は、自身が引退した今なおカラオケで愛唱され続けている。そんなちあきの貴重なベッドシーンは、西城秀樹主演の「傷だらけの勲章」(86年、東宝)だ。冒頭から秀樹と朝加真由美の激しいベッドシーンに衝撃を受けるが、ちあきも負けてはいない。ベテランの中村嘉葎雄を相手に、完脱ぎではないものの、持ち前のフェロモンが匂い立つようなラブシーンを演じた。
そんなちあきと、レコ大史に残るデッドヒートを演じたのが、「瀬戸の花嫁」(72年)を歌った小柳ルミ子(67)だ。一足先に「日本歌謡大賞」は獲得したが、大みそかの覇者にはなれなかったが…。そして30歳となった83年、ルミ子は「白蛇抄」(東映)で男たちをざわつかせる。後妻として嫁いだ若山富三郎に下腹部を愛撫され、義理の息子となる杉本哲太には若い肉欲をぶつけられる。もちろん、豊かな胸も初めてベールを脱いだ。当時、最大手の渡辺プロに所属していたルミ子だが、出演は自分で決めたと本誌に明かしていた。原作を読んだ時の艶っぽい描写に脱ぐことは避けられないと感じて、「監督に出演を了承して『事後承諾』の形を取りました」とのことだった。
猛反対だった渡辺晋社長も、ルミ子の熱意に根負けする。結果、ルミ子は「日本アカデミー賞主演女優賞」という「もう一つのグランプリ」を射止めたのだ。
78年のレコ大は、日本中に旋風を巻き起こしたピンク・レディーの「UFO」が獲得。その後、急激な人気低下で81年に解散するが、ミーこと未唯(61)は翌82年に「コールガール」(松竹)に主演。カラミはソフトなものであったが、シャワーシーンでは小粒なバストトップがはっきりと映し出されたものだ。