ショーケンにしろ、内田裕也にしろ、女にモテたが、男にも絶大な人気があった。当時から語られていたことだが、ショーケンや内田の魅力は、ひと言で言えば、「不良性感度」の高さだった。かつては、ワルで不良な男に女たちは魅力を感じていたのだ。
不良が高じてヤクザになり、拳銃不法所持や麻薬取締法違反で通算8年の懲役体験をもとに『塀の中の懲りない面々』(86年)でベストセラー作家となった安部譲二(享年82)も、9月に逝った。アサ芸では87年3月から約4年半、安部がホストの対談コーナーを連載した。三島由紀夫が安部をモデルにして書いた『複雑な彼』(66年)について「金目当てで三島が編集者に代筆させたロクでもない代物」と一刀両断するなど、政財界からヤクザの親分まで、交友関係の幅広さを感じさせる舌好調の対談コーナーだった。中でも安部が「女神」と憧れた女優の岡田奈々をゲストに迎えた回では、77年に起きた「岡田奈々マンション監禁事件」に触れ、「実はオレ、そいつ(犯人)と小菅の未決(拘置所)で一緒になったことがあるんだよ」と明かし、「オレの刑があと3年増えるような目にあわしたの」と、岡田を前に陰のボディガードをアピール。その後、安部原作の『塀の中のプレイ・ボール』(87年)に岡田が出演するきっかけになった対談だった。
野球界でそれを上回るやんちゃ、破天荒ぶりを見せてくれたのは、10月6日に逝った金田正一(享年86)。「カネやん」と呼ばれ親しまれた400勝投手である。
かつて不人気だったパ・リーグとロッテの人気を高めるために、73年に監督に就任したカネやんの秘策を、当時のベテラン担当記者から聞き出した。その一部を以下に紹介しよう。
「当時はキャンプ中、どこの球団も情報漏洩を嫌って、記者と選手を同じホテルには泊まらせなかったの。でもロッテの鹿児島キャンプだけは違っていて、担当記者を同じホテルに泊まらせるように球団に便宜を図ってくれたようなんだ。そんな監督は後にも先にも金田さんだけだったね」
「金田さんは賭けごとが好きで、記者たちとも花札や麻雀をして夜を明かした。負けが続くとサラリーマンの記者には払えない数十万単位の金額を賭けるようになるんだ。結果、最終的に賭け金は全て金田さんに流れちゃう。それでも誰も文句を言わなかったのは、福岡遠征の際、決まって中洲のソープをおごってくれたからかな。新聞、雑誌で十何人はいるんだから相当の出費だったと思う」
「当時のロッテには、週に1回『ヌキ休み』があった。モンモンとした気持ちのままでは練習に身が入らないだろうと、熊本のソープ街に行かせていたよ」
王、長嶋とともに名球会を立ち上げた球界のレジェンドは、二人には絶対にできないことを平然とやり、本音で生きた豪傑でもあったのだ。