松方は78年に離婚した元モデルの女性との間に1男2女を、そして再婚相手となった仁科亜希子との間に1男1女をもうけた。松方にとっては三女となるタレントの仁科仁美は、84年10月31日の生まれである。
千葉が、その事実に驚いたのは無理もない。
「私が知ったのはしばらく経ってからですが、私の息子と仁美さんは、2日しか生まれた日が違わなかったんです‥‥。同時期にそういうことがあったということは、奥さんも信じられなかったでしょう」
松方は最初の妻との離婚の際に、当時の芸能界では破格の「3億円の慰謝料」を支払う。それから6年後の「隠し子誕生」であるが、松方は金銭面を含めて、きちんと向き合ってくれたと千葉は言う。
「息子が18歳になるまで、月30万円の養育費は欠かさず払ってくれました。それに、弁護士さんを通して何度か息子と会ってくれました。松方さんは再婚当時、かなり苦しくて『家の米びつにコメがないんだよ』とおっしゃってましたが、それもあって誰よりも働く人になったんでしょうね」
千葉は松方とは20年ほど会っていないが、それでも、いつもよくしてもらったと感謝する。
さて松方は、主演ドラマ「HOTEL」(90~98年、TBS系)で共演した女優・山本万里子と不倫関係になり、96年に仁科と離婚。非は完全に松方にあるため、再びほとんどの財産を失う形となる。
さらに11年以降、大手事務所からの独立とともに、松方には逆風がたびたび吹き荒れた。その当時をよく知る所属事務所の関係者・A氏が、苦難の日々を明かしてくれた。
「大手事務所は、仁科さんとの離婚で金銭的に苦しかった松方さんに5000万円ほど貸していたんです。ところが、円満独立と思っていたら、いわゆる芸能界のドンから『それなら金は返してほしい』と。よくある話ですが、松方さんにしたら『これまでの仕事で相殺しているはず』と言い分が食い違ったんです」
タイミングの悪いことに島田紳助が「暴力団との密接交遊により引退」となり、松方も、過去の組関係者との食事写真が取り沙汰されることになった。テレビ局によっては、松方を出入り禁止とする報道もされた。
「それでも松方さんは『大丈夫、大丈夫、仕事はいっぱいあるから』と平然としていた。ただ、どこへ営業をかけても『いずれ、また機会がある時に』と体よく断られましたねえ」(前出・A氏)
松方はVシネの出演などで糊口をしのいでいたが、かつて1本あたり500万円は下らなかったギャラが、2本で500万、さらには「100万も出たらいいほう」と変化する。
「それでも松方さんは、パチンコや企業のパーティなどの営業をせっせとこなした。口ぐせのように山本さんを引き合いに出して『ウチのヤツのために働いている』と笑っていました」(前出・A氏)
入籍こそしなかったが、後半生のすべてを愛する女に、そして映画の主役という本来の夢に捧げた。昭和がますます遠くなる名優の最期であった。合掌──。