さらに安部は勝負師としてタイソンに食らいつく。
安部 よう、チャンプ。何ラウンドのKOに賭けときゃいいんだい?
タイソン そんなこと言われてもわからないよ(笑)。
安部 オレは5ラウンドに賭けたけど、大丈夫かしら。
タイソン OK!それならあんたは億万長者だ(笑)。
安部 サンキュー!
残念ながらタイソンが初黒星を喫したため“億万長者”にはなりえなかった。
再び安部の人生を振り返ると、75年に拳銃不法所持や麻薬取締法違反で実刑判決を受け、府中刑務所で4年間服役する。海外などとも合わせ、通算で8年のムショ暮らしとなったが、この経験をもとに書いたのが「塀の中の懲りない面々」(86年)だった。
「金が入ってくるというのは、カミソリの刃を毎日替えられるんだよ」
売れっ子となった実感である。作家デビューの同書はベストセラーとなり、87年に映画・ドラマ化され、同年の「流行語大賞」にも輝く。
実は最初の懲役が意外に長引いた理由を、週刊アサヒ芸能の対談で打ち明けている。安部が大ファンであり続けたアイドル・岡田奈々を迎えた時のこと。
岡田 18歳の時に一度、事件があって。
安部 あっ、知ってる。
岡田 変質者が入って来て‥‥怖い思いをしたんですよ。
安部 実はオレ、そいつと小菅の未決(拘置所)で一緒になったことがあるんだよ。あいつは、ほぼ一生残るほどのケガをしてるよ。
岡田 えっ!
安部 そのことをあいつが言ったから、オレの刑があと3年増えるような目にあわしたの。
77年5月に起きた「岡田奈々マンション監禁事件」は、今も犯人が逮捕されていない。安部の衝撃告白に岡田は目をみはった。
岡田 もう、あの時はほんとにショックで、絶対に芸能界を辞めてやろうとか、いろいろ悩んだんです。
安部 あなたのあったひどい目の8倍くらいはやっつけてやったけど、やつも必死だから、オレも手をかまれたんだよ。
岡田 えっ、そんな。
安部 あの野郎、かみつきやがって。だからあいつは犬歯が1本ねえはずだよ。手に食い込んで取れちゃったんだから。もう、傷は癒えたよね。
岡田 はい。安部さんにそう言っていただいたら、もう怖いものなしです(笑)。
岡田は対談の直後、安部へのお礼として原作映画「塀の中のプレイ・ボール」(87年、松竹)への出演を決めている。安部にとって「女神」と呼ぶほど憧れの美女に対し、いつになく上ずった対談だったという。