武・キズナのコンビ初戦は昨年12月22日のラジオNIKKEI杯2歳Sだった。そこを勝つか、悪くても2着になって賞金を加算したかったところだが、1000メートル通過1分6秒0という超スローペースに持ち味を殺され3着に終わる。コンビ2戦目、年明け初戦の弥生賞では直線で進路を確保できない局面があり、最後は猛然と追い込むも5着。
このコンビがほかにはない煌きを見せはじめたのは、つづく毎日杯からだった。
道中は後方に控え、直線で外に出ると矢のように伸び、最後の数完歩は流すようにしながら3馬身差の勝利をおさめた。この勝利によって賞金的に皐月賞出走も可能になったのだが、陣営は皐月賞をパスし、最大目標のダービーに照準を合わせることにした。
実は、3年前、武が長期離脱を余儀なくされた落馬事故に遭ったのも毎日杯だった。彼にとってキズナでの初勝利は、その意味でもふっきれた一戦となった。
これでキズナは外回りコースの芝1800メートルでは3戦3勝となった。血統や、折り合いのつく走りからして距離に不安はないと思われたが、次走、芝2200メートルの京都新聞杯を、毎日杯以上の鮮やかさで差し切り、それを証明してみせた。
武は、かつてダービーを勝たせた4頭すべてに、ダービーを勝つための「英才教育」を施していた。それがマイルや2000メートルのレースであっても、過去のダービー優勝馬がダービーで刻んだものに近いラップで走らせ、そして、東京の長い直線で武器になる瞬発力を磨きつづけた。キズナに対しても同様に「ダービー仕様」の走りを叩き込み、勝利をもぎとった。
成績が伸び悩んだ時期、
「勝てなくて離れていく人がいるのは仕方がない。でも、変わらず応援してくれる人の馬で結果を出せないのは本当につらい」
と話していたが、最高の恩返しができた。
秋にはフランスの凱旋門賞に参戦する予定だ。7年前、父ディープインパクトが3位入線後失格となった世界最高峰の舞台。武にとっては6度目の参戦となる。
「ディープの仔で凱旋門賞に出たいと、ずっと思っていました。キズナを世界一の馬にしたいですね」
このダービー勝利で、武は自身の持つJRA・GI最多勝記録を「67」に伸ばした。これだけの高みに到達できたのは、栄光への階段で踏み出した「最初の一歩」があったからだ。
騎手・武豊に初めてのGIタイトルをプレゼントしたのは、「平成三強」と呼ばれたうちの一頭、スーパークリークであった。
◆作家 島田明宏