「最近やっと『ディープのいない競馬』に慣れてきたけど、いまだに引退した気がしない。『ディープだったらどうだったかな』とか考えてしまいますね」
ディープの引退から1年以上経っていた08年の2月末、そう話した武の携帯電話が鳴った。彼のエージェントからだった。用件は、前年牝馬として64年ぶりにダービーを勝ったウオッカ陣営から騎乗依頼が来た、というものだった。
彼はこの年のドバイデューティフリーからウオッカの主戦騎手となり、翌09年の天皇賞・秋まで10戦し、3勝2着3回3着1回という戦績をおさめる。
武は、国内でウオッカに乗ったとき(すべて東京競馬場だった)、返し馬ですぐには走らせず、まず外埒(ラチ)沿いをゆっくり歩かせた。
担当調教助手の中田陽之ら関係者は、これはウオッカをファンの近くで見せる武一流のサービスだと思っていた。ところが、武の思惑は逆で、物見をしがちなウオッカに観客を見せ、
──この人たちがワーワー言っても大丈夫なんだよ。
と教えていたのだという。「見せられていた」のは馬ではなく、人間のほうだったのだ。
今なお「歴史的名勝負」として語り継がれている08年の天皇賞・秋の本馬場入場のときも、そうだった。
「最後に先頭に立つ自分がスタンドを沸かせるんだから、怖くないんだよ、と安心させてあげました」
ディープインパクト同様、けっして乗りやすい馬ではなかったという。
「いつでもスイッチが入ってしまうので、例えば、相手を馬群のポケットに封じ込めようと1歩動かすと、そのまま10歩ぐらい行こうとするんです。だから、ウオッカに乗るときは、『対ライバル』ではなく、『対ウオッカ』だけを考えていました」
ダイワスカーレットやディープスカイといった強敵が参戦していたこのレースも、武の感覚としては「自分との戦い」だった。
「もちろん相手を見てはいましたけど、あまり気にしていなかった。ポイントはあくまでも、ウオッカにどこでゴーサインを出すか、ということでしたから」
ラスト200メートルを切り、いったんウオッカが半馬身ほど出たが、武は、すぐに内から差し返されるのではと思った。
「まず、ディープスカイに差し返されるんじゃないかとヒヤヒヤした。ようやく競り落としたら、今度はダイワが盛り返してきて、あれには驚きました」
内のダイワスカーレットか、外のウオッカか。2頭が横並びでゴールし、何度リプレイを見てもどちらが勝っているのかわからなかった。しかし、武はゴールした瞬間、自分が出ていたように感じていたという。
「それで検量室で勝負服を脱がずにいたんですけど、写真判定を待っているうちに、『同着でもいい』と思うようになっていました」
結局、僅か2センチの差でウオッカが勝っており、武は5度目の秋の盾を手にしたのだった。
◆作家 島田明宏