観衆からどよめきが起こり、外れ馬券が雪のように舞う‥‥。“奇跡の瞬間”は何とも悲喜こもごもだ。競馬実況の神様・杉本清氏に、思い出の大波乱を語ってもらおう。
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競馬実況に携わって50年になりますが、これまで一度だけ、実況中に我を忘れてハチャメチャになったことがあるんです。忘れもしない89年のエリザベス女王杯です。レースを制したのは20馬中20番人気だったサンドピアリス。単勝配当4万3060円は、グレード制施行後のGI最高単勝配当記録で、現在も破られていません。
この日、いつものようにレース前、競馬場の大型ビジョンに映る各馬にチラチラ目をやりながら解説者と話をしていたんです。その時たまたま聞いたことのない赤の勝負服の馬がアップになった。よく見るとサンドピアリスという馬だった。とりあえず資料を調べ直したところ、それまでダートしか走ったことのない馬だった。その場で「これはないな」と見切りました。
この時は3枠に、この年のオークスを勝っているライトカラーがいて、サンドピアリスと同じ赤の勝負服でした。だから僕の頭の中には、「赤=ライトカラー」というイメージしかなかった。ところが直線で入ってきたのは同じ赤でもサンドピアリスだった。「サンドピアリスが来た」と実況しながらも、本当にサンドピアリスなのか自分でも確信が持てませんでした。ゴールを切った時に「サンドピアリスで間違いない!」と叫んだのですが、これは自分自身に言い聞かせる意味もあったんです。こんな経験は、あとにも先にもしたことがありません。
91年の有馬記念を制したダイユウサクも印象深いですね。14番人気にもかかわらず、1番人気のメジロマックイーンを内から差し切り、レコードタイムでの優勝でした。
この馬は、2週間前の阪神競馬場新装記念に勝ったことでJRAの推薦馬として有馬に出走することになった。ただ、そのレースは単なる重賞。そんな訳のわからんオープン特別に勝ったくらいで有馬に出るなんて「何考えてんねん」という感じでした。しかも、負けるはずがないと思われていたメジロマックイーンがいて、乗ってるジョッキーがどちらかというと地味な熊沢重文でしたからね。
だから、メジロマックイーンの横から豪快に真ん中を割って出てきた時には、「まさかのダイユウサクやな~」とびっくりしました。それまでGIに出てきたことなんてない馬でしたからね。あとで内藤繁春調教師に話を聞くと、直前の勢いからかなり自信を持っていたらしいのですが、僕らはどうしても戦績で評価してしまいますからね。
少し地味かもしれませんが、00年の秋華賞を勝ったティコティコタックも外せないですね。10番人気の低評価を覆してのGI初勝利。騎乗した武幸四郎にとっても、これが初のGI勝利でした。
幸四郎というのは、今年のオークスを含め4度GIを獲っていますが、兄の豊と違って不人気馬を勝たせるのがうまいんですよ。どこか飄々としたところがありますからね。この時の勝利騎手インタビューで、彼の目が真っ赤に腫れていました。GI初勝利で興奮しているのかと思ったら「結膜炎で医者にも騎乗を止められていたんです」と笑っていました。そんな状態で勝ったのですから、まさに、してやったりという気持ちだったのでしょう。「穴男」の面目躍如ですよね。
その他にも、古いところでは79年桜花賞のホースメンテスコ、85年オークスのノアノハコブネ、2000年以降では、04年天皇賞(春)でイングランディーレが演じた番狂わせも忘れられないですね。
アナウンサーの立場としては、レースが混戦になってゴール直前で人気薄の馬が勝つような番狂わせは、意外と実況しやすいんです。馬の名前を連呼していればとりあえず格好がつく。難しいのは本命、対抗がマッチレースとなるようなケース。波風のないレース展開を実況でいかに盛り上げるか。それがアナウンサーの腕の見せどころですし、醍醐味でもあるんですよ。