胸や秘所を包む役割として肌着は存在する。ではあるが、あまりにも豊かなカラダは、肌着の効力すら半減させるかのようであった。
日本を代表する“爆胸”女優といえば、かたせ梨乃で異存はないだろう。脱いだ映画の傑作は数多いが、松井氏は「肉体の門」(88年、東映)をイチオシする。松井氏によれば、終戦直後、復員兵の渡瀬恒彦に米の飯を食わせてもらい、そのお礼にと男性未体験の体を差し出すという。「ゴワゴワしたシュミーズの肩ヒモを外し」て、こぼれ落ちそうなバストがドーンと飛び出す。「なんとも情緒のあるシーンでした」と振り返る。
さらにかたせは、出世作となった極妻の4作目「極道の妻たち 最後の戦い」(90年、東映)でも鮮烈な場面を見せている。真っ赤な肌着に身を包み、鼻の下を伸ばした津川雅彦から5億円の金を引っ張り出す。赤い肌着で彩られた肉体は、それだけの価値があるということだ。
15歳から映画で奔放脱ぎを見せていた原田美枝子は、深作欣二監督の「火宅の人」(86年、東映)でも大サービス。主人公の作家役・緒形拳の不貞相手という役どころだ。不貞旅行先の宿で、肌着姿のまま緒形に愛撫されるという。
「起き上がった原田がスリップを脱ぎ、こらえきれない表情で『もう…こっちへ来てください』と哀願する。あの美胸が映えるさすがの女優魂でした」(秋本氏)
80年代の「性のシンボル」として脚光を浴びた烏丸せつこは、上向きのバストトップと球体のような、弾力ある胸が魅力だった。
松井氏によれば、映画初主演の「四季・奈津子」(80年、東映)のポスターは、濡れたTシャツが体に貼りついて、胸がくっきり見えたのが印象的だったという。「映画本編では『マノン』(81年、東宝)のラストシーンで、死んだまま佐藤浩市にあおむけに担がれます」とのシーンがあるが、肌着がズレて片方の胸が「ポロンと見えているというシュールな構図でした」と松井氏は回想する。
烏丸と同時期に豊かなカラダのヌードを競ったのが石田えり(59)。映画賞を総ナメにした「遠雷」(81年、ATG)が強烈なインパクトを残したが、秋本氏が振り返るには、「(役として)のちに夫婦となる永島敏行とモーテルに行って」あの巨大な胸を包んでいる白い肌着を「笑顔でパッパと脱いでいく場面」の「あっけらかんとした感じ」が、逆に妖しい艶っぽさを感じさせたという。
さらに石田は、ビニールハウスでも永島とのカラミを披露。栽培しているトマトの枝をバックに、永島にホースの散水を浴びせられ、白い肌着が透けていく。モーテルの時より高級な素材になっているのが、挙式を終えた夫婦の成長を表している。その白い肌着を脱いでの「ハウス内の交わり」は、野性味に満ちた好シーンだった。
最後は、豊かなカラダが好きな向きには、垂涎モノの肉体を持つ高瀬春奈を。ヌード作はいくつかあるが、樋口可南子との同性同士のベッドシーンを見せた「卍」(83年、東映セントラルフィルム)は異色作。スレンダーな樋口と豊かな肉体の高瀬が、お互い下半身の肌着だけで愛撫を重ねる姿は、粘着質の音が聞こえてきそうな異空間であった。