もちろん「投手王国」再建のためには、野手陣のふんばりも欠かせない。だが、現在のカープでは打線の援護はなく、エラーもリーグトップの67を数え、投手陣の足を引っ張っている印象すらある。内野の要であるセカンド菊池涼介(23)とサード堂林翔太(21)のエラーだけでも2人合わせて26失策。これでは、投手も悲鳴を上げたくなる。
「アウトにできる打球はしっかり守って、投手を乗せてほしいですね。土のグラウンドが本拠地とはいえ、エラーが多いと投手の球数も増え、バッテリーも神経を遣わされます。全てにおいてミスは流れを悪くします」
こうした投打における「負のスパイラル」が、現在のチーム低迷につながっていると言えそうだが、選手の意識の変化もまた、万年Bクラスの要因とも言われている。この点についても大野氏は、OBとして厳しい言葉を投げかける。
「今どきの選手の多くは、練習一つ取っても、何でこの練習をするのか、その意味がわかっていません。若い頃の東出輝裕(32)は、疑問に思うとすぐに聞き返してきました。『コイツはいい選手になる』と感じましたが、今の広島にはそういうタイプが少ないんです。中途半端な練習は中途半端な選手しか生みません。一生懸命やっていれば、修正すべき点も見えてくる。それを練習で認識しないため、マウンド上でどうすればいいかわからなくなるんです」
実績のない平凡な選手を一流に育てるという広島流の育成システムには、企業秘密は存在しない。そこには、豊富な練習量と“ハングリー精神”がある。これぞ、チーム躍進の原動力になるという。
「僕は下手でしたので、先輩の教えを素直に聞いて、生きるすべを身につけるしかありませんでした。頭ごなしに怒られても、ダメな面は素直に受け入れましたが、自分の長所に関しては、我を通して変えませんでした。負けたくない、上手になりたい、との思いからいろいろな研究やくふうもしました」
大野氏は異色の野球選手だ。高校卒業後、信用組合に勤め軟式野球に励み、テスト入団して、野球殿堂入りする投手にまで上り詰めた。その大きな転換点となったのが、77年9月4日の対阪神戦での初登板のことだった。
故郷の恩師や友人、信用組合の上司と同僚が声援を送る中、打者8人に5安打2四球、満塁本塁打を浴びるなどさんざんな結果に終わった大野氏は、試合終了後、涙を流して寮まで歩いた。心配した山本一義コーチから「間違っても自殺するなよ」と言われたほど落ち込んだという。
「プロで成功して母親を楽にさせたかったんです。夢は自分でかなえるものだ、この試練を乗り越えるために、と気持ちを切り替え、多い日には400球も投げ込みました。今の子には、こうしたハングリー精神がないんです」
悔しい思いが選手を強くする。逆説的に言えば、22年優勝から遠ざかっている広島の逆襲はいつ始まってもおかしくないとも言えよう。