大野氏がハングリー精神と並んで強調するのが、「考える野球」だ。先輩やコーチのアドバイスから自分の野球を模索することで、選手としての成長につながるというのだ。
大野氏にとって「最も影響を受けた」というのが、優勝請負人と称された江夏豊氏だった。抑えのサウスポーという役割はもちろん、名前も一緒なら、母子家庭という境遇も同じとあって、ことさらかわいがられた。時には殴られながらも、
「投手が1、2本打たれたからといって、そんな態度を取るな。俺を見ろ、今までどれだけ打たれてきたか」
と叱咤激励してくれる。そんな大投手の言葉は胸に突き刺さった。
「雲の上の人に教えていただき、ものすごく役に立ちました。常に江夏さんを追いかけてきましたが、それは意外と苦しいんです。僕は江夏さんにはなれない。どういう投手になりたいかを考え、大野豊のピッチングはこうだ、と変えてから、非常に楽になりました。そうした考えを、今の若い投手に持ってほしいんです」
振り返れば、広島の黄金時代は、個性派の投手が集まる“梁山泊”でもあった。
「それこそ、昔の広島は個性派投手ばかりでした。津田恒実(故人)はストレート主体で『まっすぐで打ってみい』と勝負を挑み、北別府学はコントロールが武器。川口和久いうたら何イニングでも投げられるスタミナが持ち味だった。逆に言えば、僕がいちばん無個性で中途半端でしたが、彼らが身近にいたから、長所を吸収して投げられたんです。僕のプロ初登板を知る人は、『すぐに四球を出す弱気の大野が、ようこんなピッチャーになったな』と言いますが、そんな僕がこうして殿堂入りまでさせてもらえたんですから、カープの若手も頑張ればできるはずです」
打てない、守れない、抑えられない──。この三重苦も、きっかけ一つで変わることができる。それがプロだと大野氏は語る。幸い、現在のセ・リーグは3位以下がダンゴ状態でチャンスは十分にある。カープファンの夢は、短期決戦での打倒巨人だ。
「今でも忘れられないのは91年の優勝決定試合で胴上げ投手になれたことです。緊張感がとぎれない大舞台は、選手に自信をもたらせてくれます。12球団でCS出場経験がないのも広島とDeNAだけ。昨年が大きなチャンスでしたが、ヤクルトにまくられ悔しい思いをしました。今年は悔しい思いを糧に、きっとCSに進出してくれる。その先には優勝の可能性もあるでしょう」
黄金時代を知るOBの言葉から、学べることも多いはずだ。