映画やドラマの世界に、実は別の役者が演じるはずだった「if」は山ほどある。ベッド場面においても、劇的な代役は数多い。
流行語になった「なめたらいかんぜよ!」で、夏目雅子(享年27)は一躍、大女優へと近づいた。82年公開の「鬼龍院花子の生涯」(東映)。脚本を手がけた高田宏治氏が、二転三転したキャスティング事情を明かす。
「最初は鬼政(仲代達矢)の養女・松恵を大竹しのぶがやるはずやったけど、東映の京都撮影所が怖いとか、五社英雄監督がイヤだとか駄々をこねてね」
ここで名乗りを上げたのが夏目だった。お嬢さま女優らしからぬアピールだったと高田氏は続ける。監督の目の前で台本の上に座るようにして、
「『絶対、私にやらせてくれないとここを動きません!』と言ったそうや。ま、五社さんが言うてることやからホンマかどうかわからんが(笑)」
五社監督は「大竹がなんぼのもんじゃい!」の一念で撮り続けたという。その執念が乗り移ったのか、養父に抱かれる夏目の美しさは際立っていたと高田氏は述懐する。
74年にNHK朝ドラ「北の家族」のヒロインを務めた高橋洋子は、映画「旅の重さ」(72年、松竹)でデビューしている。この役はオーディションだったが、とんでもない幸運が舞い込んだと後日、本誌に明かしている。
「オーディションの約束の時間を2時間も過ぎていたけど、私、とにかく走って行って。汗で髪の毛がペタリと貼りついているような感じ。そしたら斎藤耕一監督が『汗が似合う子が欲しかったんだ!』と即答して。ただ、それまでは同じオーディションを受けた秋吉久美子さんで決まりかけていたの。松竹も秋吉さんを推したけど、監督だけが私で譲らなかったわね」
高橋は10代の清冽な脱ぎ姿を披露している。さて、秋吉と役がすり替わった女優がもう一人いる。高島礼子の「さまよえる脳髄」(93年、ヒーロー)がそれだ。映画評論家の秋本鉄次氏が秘話を明かす。
「インタビューした際、秋吉久美子の代役で途中参加した役で『秋吉さんに比べて知名度がなかったから、まな板の上の鯉になったつもりでした。監督にどのようにでも料理してください。お任せしますと言った』と話していた」
それが神田正輝との激しいカラミになっていく。
さらに、と秋本氏は続ける。
「女優は売れたら無名時代の脱ぎ作品は隠しがちだけど、彼女は『あれは初主演作品なので、今でも振り返って見るんですよ』と話していた。さらに『代役の初主演だったから、できることならリメイクしたいくらい自分の原点になっている』とも言っていました」
時計の針を70年代に戻すと、吉永小百合の「サユリスト」に対し、「コマキスト」と呼ばれる熱烈なファンを生んだ栗原小巻。実は、この2大マドンナ女優は、映画「忍ぶ川」(72年、東宝)で因縁を巡らせた。
当初、吉永が主演と発表されたが、その脚本に脱いだ姿での「初夜のシーン」があったことで、吉永の父が激怒。熊井啓監督に「これを切らないなら娘は出さない」と条件を付け、物別れに終わる。
代打で抜擢された新人の栗原は高い評価を受け、吉永は逆に、女優としての「脱ぎ時」を見失ってしまったようだ。偶然だが2人の生年月日は、わずか1日違いである。
現在は中村雅俊夫人である五十嵐淳子も、正統派の美人として人気を集めた。そんな五十嵐は、渡辺淳一原作の「阿寒に果つ」(75年、東宝)で初主演を飾る。当初は山口百恵・三浦友和コンビの作品として予定されていたが、脱ぎの場面があるため、百恵サイドがこれを拒否。
「私は絶対にこの役をやりたいです」
五十嵐は原作の渡辺氏に手紙を出し、大役を射止めた。豊かな胸で、三浦友和らを相手に大胆なカラミを何度も披露した。