こうした政権運営ながらなんとか長期政権をものにした小泉だったが、その政権後半には、さすがに国民に飽きられた。長期政権で緊張感が足りぬ中、閣僚、幹事長らの失言、放言が連発、閣僚間の意見対立も目立ち始めた。同時に、小泉への個人攻撃的なものも目立ち始めたということだった。
例えば、自身が議員になる前に「ユーレイ社員」として厚生年金に加入していたことを突かれると、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」との“珍答弁”でケムに巻き、答弁に窮すると「そんなこと常識でしょう」となんとも雑把な答弁で逃げるのであった。ために、折から年金不信がピーク時でもあり、さすがの国民も“引導”を渡したということであった。外務大臣に抜擢した田中真紀子からは、さすがに「変人」の“称号”をもらったのである。
退陣後は「世襲」批判もなんのその、息子の小泉進次郎(現・環境相)に地盤を譲って引退、その後、一貫して「原発ゼロ」社会の構築を講演などで訴え続けている。
その引退は平成21(2009)年8月の総選挙で自民党が大敗、政権が民主党に移った際だったが、「(政権交代は)衆参両院議員200人が新党をつくったと思えばいいんじゃないか」と野党に転落した自民党に“アドバイス”、返すカタナで「小泉構造改革路線を忠実に継いでくれるのは民主党ではないか」と、いかにもな「言葉の人」らしく思うに任せなかった政権運営に対し、自民党に皮肉たっぷり、“最後っ屁”を放ったものだった。
その風貌から、「ライオン宰相」と言われた昭和初期の浜口雄幸(おさち)総理に擬せられもしたが、浜口と違って「男子の本懐」をまっとうしたとは言い難かったようだ。
■小泉純一郎の略歴
昭和17(1942)年1月8日、神奈川県生まれ。慶応大学経済学部卒業後、福田赳夫秘書。昭和47(1972)年12月、衆議院議員初当選。平成13(2001)年4月、三度目の自民党総裁選に勝利し、内閣組織。総理就任時59歳。現在78歳。
総理大臣歴:第87~89代 2001年4月26日~2006年9月26日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。