7月18日に自宅で首を吊って亡くなっていたことが確認された三浦春馬(享年30)は、売れっ子俳優だけあって、自死当日以降も収録済みのテレビ出演が続いた。まず、出演した映画「コンフィデンスマンJP ロマンス編」(フジテレビ系)は18日、冒頭に「三浦春馬さんが本日お亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします」のテロップを流し、オンエアへ踏み切っている。
21日深夜のNHKでは、レギュラーでMCを務める「世界はほしいモノにあふれている~旅するバイヤー極上リスト~」の再放送がオンエアされた。冒頭には同じようにテロップが添えられた。
「番組MCを務める三浦春馬さんがお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を表します」
ありし日の温和な笑顔があふれていたが、同じNHKでも沢尻エリカ騒動の時とはまるで違う。大河ドラマ「麒麟がくる」のヒロインという大役だったため、撮り直しのスケジュール調整で初回放送が2週遅れるという前代未聞の事態となった。その後のコロナ禍で大河ドラマは再び中断してしまったが、序盤の遅れがなければ中断も最小限に済んだと悔やまれる。
さて、三浦はあくまで「自殺」であり、沢尻や17年小出恵介のように「不祥事」を起こしたわけではない。とはいえ、収録したものを放送していいのかどうか、かつては協議がギリギリまで繰り返されたケースがある。それが、78年12月28日に自宅で猟銃自死した田宮二郎(享年43)のケースだった。
田宮は生涯の傑作と呼ばれた「白い巨塔」(フジ系)で、財前五郎役で主演する。ガンの権威でありながら、医療裁判の敗訴とともに、自身が手術不能のガンに冒され、壮絶に散る。
田宮の自殺の段階では、ラストの2話が未放送であった。当然、放送を中止すべきとの声もあったが──、
「田宮さんの死を悼みますというテロップを入れることで、何とか放送続行に踏み切ったんです。全31話の物語もクライマックスに近づき、最終回を見せないのは視聴者にとっても失礼という“大義名分”がありました」
こう語るのは、当時の制作にかかわったスタッフのひとりである。それまで10%台の前半で低迷していた視聴率が自殺から2日後には26.3%に、年明けの最終回は31.4%まで跳ね上がり「現実のドラマの2つの死」を同時に国民が見届けたことになる。
そして「おやじ、涅槃で待ってる」の言葉を遺して京王プラザホテルから沖雅也(享年31)が飛び降りたのは、83年6月28日のこと。義父であった日景忠男氏との「ただならぬ関係」も話題となったが、沖もまた自死の翌日、6月29日にテレビ放送を控えていた。
映画版に引き続いてドラマとしても制作された「決定版!蒲田行進曲」(TBS系)で主役の銀四郎に扮していたのだ。同ドラマは2週にわたってのスペシャル編成で、自死翌日は後編のオンエア。編成上、見送るわけにはいかず、追悼のテロップを入れての放送となり、大きな話題となる。
これも「テレビの宿命」と言ってしまえばそれまでだが…。