「今の田宮の体を見れば一目でわかると思います。別人でしょ? ウチは休ませたいんですよ」
幸子夫人は、田宮が「スター千一夜」の司会を担当した頃から世話になったプロデューサーに懇願した。夫人のあずかり知らぬところで、田宮とフジテレビに新たな契約が生まれたのだという。
そこで夫人は、フジテレビと喧嘩別れせずに新たなドラマの依頼を断る“大人の条件”を出した。
「作品は『白い巨塔』であること。1本あたりのギャラは、TBS時代よりも破格に上積みしてあること。66年の映画版と同じ豪華キャストであること。さらに、田宮企画の代表である私をプロデューサーに入れること」
欲をかいたわけではない。これだけ厳しい条件ならフジは撤退するだろうと考えたのである。
ところが、田宮獲得に燃えるフジは、すべての条件を飲んだ。
長期休暇のもくろみが外れた夫人は、自身がプロデューサーという案からは降りたが、あとになって後悔した。やはり、田宮を最後まで間近で監視すべきだったと思った。
また、田宮の「白い巨塔」にかける思いも看過できなかった。65年に文化放送のラジオドラマで主役の財前五郎を演じ、翌年の映画版でも大きな評判を取った。
原作者の山崎豊子に自身の役作りプランを明かし、山崎から「財前はあなたにあげます」との言質も取っている。いわばライフワークの作品であり、映画版では前半部分しか描かれなかったのが、ついにドラマで完結まで描く機会が訪れたのである。
それでも、と夫人は言う。
「本来ならばいい仕事のチャンスに恵まれたんでしょうけど、精神病を抱えて、心ここにあらずの状態ではやらせるべきではなかったと痛感しております」
あれほど役作りにこだわり、台本におびただしく書き込みを加えていた田宮が、いざクランクインとなると別人のようだった。台本を目にするわけではなく、作品そのものを軽視する発言を繰り返した。
「今の医学界はこうじゃない。この『白い巨塔』はバカバカしい」
それは田宮が躁状態に入り、万能感から発した言葉であった。もちろん、夫人もその状態を見過ごすわけにはいかず、斎藤茂太に相談して薬を服用させることにした。
「ただし、田宮がそのことを承知するはずがありません。そこで田宮の側近に相談して、こっそり食事に混ぜるようにしようとしました。ところが、その人が田宮にそのことを告げてしまったんです」
こうしたことが契機となり、芸能界きってのおしどり夫婦であった2人は修羅の道に突き進んでいった。また「白い巨塔」の撮影も同時に、薄氷を踏むような日々となった──。