戦後の日本を支えたのは、誰もが耳にした歌姫たちのヒット曲である。テレビ時代になって目でも楽しませてくれた歌手たちは今、どうしているのか──。
沖縄が日本に返還されたのは、72年のこと。その前年に「17才」でデビューした南沙織(66)は、前祝いのような役割を担った。
加えて南沙織を「アイドル第1号」と呼ぶ声は多く、今に続くアイドル文化を形成。その仕掛け人、音楽プロデューサーの酒井政利氏は、ライバルの小柳ルミ子が「陸」で天地真理が「空」なら、南に「海」のイメージを持たせることで差別化を図った。
篠山紀信氏との結婚後は、わずかな期間を除いて引退状態にあるが、酒井氏によれば「来年は50周年だけど、表舞台に出る気はなさそう」とのこと。
翌72年には、伝説のスカウト番組「スター誕生!」の初代グランドチャンピオンとして森昌子(61)がデビュー。圧倒的な歌唱力と若さを武器に、桜田淳子や山口百恵など多くのアイドル志望者を目覚めさせた。
昌子は昨年12月25日、地元・宇都宮でのコンサートを最後に引退したはずだった。ところが、今年2月から3月にかけ、自身が「残業」と呼ぶコンサートが残っていた。引退発表以前から決まっていた「JAさいたま」主催の全16公演で、撤回することはかなわなかったという。結果的に2月後半からはコロナ禍の影響で中止に追い込まれたが、なんとも商魂たくましい「引退ビジネス」であったようだ。
突然の訃報が往年のファンを襲ったのは、戦後最大のポップス歌手と呼ばれた弘田三枝子(享年73)である。今年7月21日、急性心不全により亡くなったが、闘病中との情報もなかったことから、関係者に驚きの声が上がった。
弘田の所属事務所の代表である合田道人氏は、かねてよりの基礎疾患を疑ったが、火葬後に目をみはった。
「遺骨が真っ白で1本1本が太く、骨壺に入りきらなかったほど。多少、どこそこが痛いとは年齢的にこぼしていましたが、本当に悪いところがないまま死んだのには驚きました」
合田氏は昨年12月、愛知の星神社で弘田とともに「歌の奉納」を行い、境内でのステージを務めた。
「それがミーコにとって最後の歌唱となりました。コロナ禍が落ち着いたら、60周年に向けての準備に入るところでした」(合田氏)
あのパワフルな歌声を追悼の代わりに流してほしい。
弘田とほぼ同世代にあたる安倍律子(71)は、今年デビュー50周年を迎える。70年にヒットした「愛のきずな」で日本レコード大賞新人賞に選ばれ、80年代のカラオケブームでは、橋幸夫との「今夜は離さない」などでデュエットの女王と呼ばれた。
実は安倍は「あべ・りつこ」の読みは同じでも、律子・理津子・里葎子と改名を繰り返し、今年3月に再び「安倍理津子」に戻している。50周年記念のイベントは、感染防止に配慮しながら、少しずつ開催しているようだ。
松田聖子と同じ80年にデビューした河合奈保子(57)も、今年はデビュー40周年。2年前には一足先に40周年を迎えた竹内まりやに、ラジオ番組でメッセージを提供。引退以来、実に21年ぶりの肉声としてファンを狂喜させた。
96年の結婚以降、芸能界からは距離を置いているが、今も復刻写真集やCDボックスが出るたびに大きな話題となる。メモリアルイヤーの今年は、何らかのサプライズはあるだろうか‥‥。