アイドルの勢力図を変えたと言われる「おニャン子クラブ」は、誕生から35年になる。50人を超えるメンバーで、印象に残った顔ぶれを追跡してみたい。
おニャン子を生んだ番組「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)が始まったのは85年4月1日である。現役女子高生を中心に、放課後のクラブ活動的なノリが支持された。
番組と「おニャン子」の名を最初に有名にしたのは、皮肉にも「集団喫煙事件」であった。局近くの喫茶店でメンバー6人が喫煙しているところを「週刊文春」に掲載され、5人がそのまま降板となった。
そのひとりであり、エースの期待も高かった会員番号7番の友田麻美子(52)が、当時を振り返った。
「新宿駅地下の喫茶店に入ったんです。まだ顔も売れていないから吸っても大丈夫だろうって。カメラのシャッター音が聞こえた時は『ガーン!』という衝撃でした。親にもタバコを捨てられてしまいました(笑)」
タバコで解雇は、不良性感度の高い80年代ならではであろうか。その後、友田はオーダーメイドのバッグデザイナーとして活躍している。
会員番号11番の福永恵規(53)は、非公式ながら「おニャン子」の初代リーダーも務めた。番組スタッフの期待ほど人気は上がらなかったが、現在はなんと、小泉今日子の個人事務所「オフィス日新」で取締役に就任し、広報やアシスタントプロデューサーとして辣腕を振るっている。
ソロデビュー第1号を飾り、メンバー屈指の美少女と呼ばれた会員番号12番の河合その子(55)は、メイン作曲家だった後藤次利氏と94年に結婚し、引退。10年前には資生堂のCMで久々に姿を見せたが、その際に1児の母になっていることを明かした。
布川敏和の妹で会員番号33番の布川智子(51)は、結婚して3児の母となったが、11年に現姓の「荻野智子」名義で活動を再開。娘の荻野心もアイドル活動を始めている。
アイドル・芹沢直美の妹で会員番号48番の我妻佳代(52)は、愛らしいルックスで後期おニャン子の起爆剤となった。引退後の03年、六本木に会員制のダーツバー「HOME’S BAR 48」をオープンさせたが、店名は自身の会員番号に由来する。
同店は現在も営業しているが、コロナ禍により、たびたびの臨時休業に見舞われているようだ。