《噺家と掛けて、手ぬぐいと解く。そのココロはまんだら悪い職業ではありません》好楽(※まんだらは手ぬぐいのこと)
鶴光 創作落語はやんないの?
好楽 あの(六代目桂)文枝師匠からいただいて、2つぐらいやりましたけど、その人の味で作ったものだからね。難しいね。
鶴光 おばあちゃんモノで人気の(五代目古今亭)今輔師匠が柳家金語楼先生の創作落語「ラーメン屋」をやったんですって。子供のいない老夫婦が営む屋台のラーメン屋で若い客が無銭飲食する噺。金語楼先生は「これはもう今輔のネタだ」言うて、以後、自分ではやらなくなったんやて。
好楽 師匠の稲荷町(林家彦六)が、「今輔のラーメン屋、聴いたかい? アレはいいね」って。それでやったことがある。でも、やっぱりアタシの柄じゃないから、続かないんですよね。
鶴光 関西弁で「ラーメン屋」演ったんです。今輔師匠の孫弟子でこの噺を引き継いだ(四代目古今亭)寿輔さんからいただいた。
好楽 鶴光さんの「ラーメン屋」、袖で聴いてボロボロ泣いたことがあった。
鶴光 ワシ、高座から下りてきたら、なに、泣いてはるんやろかって思ったで。
好楽 あの人情噺には驚いた。
鶴光 一昨年、3番弟子の三遊亭好の助の真打昇進の際に予定していた「三代目林家九蔵」の襲名取りやめの件も聞いておきたいね。
好楽 林家九蔵は17年間もアタシの大事な名前で、権利もあると思っていたんですよ。稲荷町の師匠も「林家正蔵」の名跡を七代目の遺族である初代林家三平師匠から一代限りの条件で借り受けていたことから、弟子の真打昇進の際は「春風亭」など他の名跡にしていたでしょ。稲荷町の惣領弟子は(五代目)春風亭柳朝兄さんだもん。だからアタシも三遊亭の中に「林家」があってもいいと思ったの。そしたら、九代目(林家正蔵)から「師匠、三遊亭さんで林家の名を継ぐのはお考え違いですよ」って大クレーム。
鶴光 九代目はわかるけど、なんで母親の海老名香葉子さんも怒ってるの?
好楽 香葉子さんのところに行ったら、大阪からわざわざ「林家は宗家ですからお大事にしてください」という噺家さんがいらしたって言われた。
鶴光 あれは(四代目)林家染丸さんの弟子の(三代目林家)菊丸や。上方にも「林家正楽」の名跡があって、その六代目の娘婿が五代目笑福亭松鶴で、孫が我が師匠の六代目松鶴。笑福亭の系図の中にポツンと林家染丸が出てくるんや。そやから、上方の林家は違うんや。なのに、挨拶に行ったことが、話をややこしくした。
好楽 もう延々と4時間、おかみさんを口説いたんだけど。ダメでした。
鶴光 今も香葉子さんとは仲ようしてます?
好楽 息子の三遊亭王楽は、年中、おかみさんのとこ、行ったりしてます。
鶴光 何回か出させてもろうたけど。7年前に地下鉄・根津駅近くに新築した自宅の中にオープンした寄席「池之端しのぶ亭」、なんで作ろうと思ったの?
好楽 アタシも師匠、兄弟子、先輩方に育ててもらった。そのバトンを弟子や後輩に渡すのが役目。そう考えて、寄席を建てようと思ったわけです。
鶴光 楽屋まであるやんか。
好楽 楽屋でお客さんの気配を感じる。そういう緊張感が欲しかったの。
鶴光 キャパは何人?
好楽 定員35。これまででいちばん入ったのが(笑福亭)鶴瓶の六十何人。外まであふれてたもん。あと、(柳家)喬太郎さんもすごかった。たまにゲスト出演を頼まれるけど、アタシの場合、2階から下りてくるだけなんで、交通費がかからない。こんな使い勝手のいいゲストはいませんで(笑)。
笑福亭鶴光(しょうふくてい・つるこ)1948年1月18日、大阪市出身。67年、上方落語の六代目笑福亭松鶴に入門。74年からニッポン放送「オールナイトニッポン」などのパーソナリティとして人気。東京を拠点に上方落語の発展に尽くす。上方落語協会顧問。落語芸術協会上方真打。J:COMJテレにて隔週土曜「オールナイトニッポン.TB@J:COM」などに出演中。「最近、昔の噺家の名演が配信されとる。エエこっちゃ。落語の配信と掛けて、二日酔いのクスリと解く。そのココロは、聴く(効く)と笑顔が戻るでしょう」
三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)1946年8月6日、東京・東池袋出身。66年、八代目林家正蔵(のちの彦六)入門。林家九蔵を名乗る。79年、日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーに。81年、真打昇進。82年の師匠彦六死去に伴い、83年五代目三遊亭圓楽門下に移籍。好楽に改名。一時、「笑点」を降板するが、88年復帰。12年、自叙伝「好楽日和。」(晶文社)出版。13年、自宅に寄席「池之端しのぶ亭」オープン。20年から圓楽一門会顧問。「100回の稽古より1人のお客さんの前で演じるほうが勉強になる。で、『しのぶ亭』を作ったの」