こうした強権的な安倍政権ではあったが、内閣支持率もおしなべて高く、安倍の思惑通りの政治が進み、異論の入る余地がなかったことで、「安倍1強」政治との言葉も生んだのだった。
その安倍は、第2次政権発足後、衆参の国政選挙を6回(令和元年参院選を含む)仕切ったが、いずれも勝利、それぞれその後の改造人事も6回あったことで、これが「安倍1強」の大きな要因と言えた。自民党議員にとって、大臣あるいは党の重要役職ポストに就くのは夢であり、人事で首根っこを押さえられたら、恭順の意で臨むしかなかったという側面があったということである。
しかし、一方で「1強」長期政権は、さすがの「緩み」「驕り」が出た形で、政権の中盤以降はとりわけスキャンダル、不祥事が付いて回るという不透明感にも満ちていた。
安倍晋三・昭恵の総理夫妻が関わったとされた「森友疑惑」、伴っての財務省の公文書改ざん疑惑、「桜を見る会」の疑惑、さらには「加計」疑惑も加わった。
「森友」疑惑については、安倍は国会での野党の追及に対して「私や妻が関わっていたとなれば首相も議員も辞める」(2017年2月)と発言していたが、財務省官僚の「忖度」が云々され、結局、疑惑は晴れぬままウヤムヤになってしまった感がある。
さらには、この間IR(カジノを含む統合型リゾート施設)汚職で自民党議員が逮捕されたほか、厚労省、文科省などの不祥事も続出、また閣僚のスキャンダル、失言などでの辞任も相次ぐといった具合だったのだった。
こうしたなんともの不祥事続出は、政府・自民党から不祥事が続出した佐藤(栄作)内閣が抱えた1966(昭和41)年の「黒い霧事件」を、はるかに凌ぐものであった。時に、佐藤は自民党幹事長だった田中角栄を辞任させることで政権を維持させたものだが、安倍は不祥事閣僚に責任を取らせて辞職させたが、自らの任命責任などについては、国会で「責任を感じている。説明責任を果たす」と口にはしたものの、国民を納得させるような説明は乏しかったと言えた。言うなら、不透明感を払拭しないままでの長期政権と言えたのだった。
しかし、こうした安倍政権も、元号が「令和」と変わった慶事もつかの間、新型コロナウイルスという予期せぬ“外敵”の襲来に、ついに窮地に立つことになる。
■安倍晋三の略歴
昭和29(1954)年9月21日、東京都渋谷区生まれ(本籍地は山口県)。神戸製鋼所入社後、父親の安倍晋太郎外相の秘書官。平成5(1993)年7月、衆議院議員初当選。平成18(2006)年9月、第一次内閣組織。「再登板」は吉田茂以来64年ぶり。
総理大臣歴:第96代 2012年12月26日~
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。