さて、8年弱の長期政権を誇った第2次安倍政権ではあったが、特に政権の中盤あたりから、世論の批判の対象となりだしたことが大きく三つあった。
閣僚などの不祥事のたびに「任命責任は私にある」と国会答弁で口にするものの、「責任」はいつも行方不明、“ほおかむり”で終わっていたことが一つ。
また、国会軽視も目立った。例えば、平成30(2018)年末の自衛隊の中東派遣も、本来なら国会で審議すべき事案であるにも拘らず閣議決定で決めてしまうなど、異例の対応をしたことが二つ目である。
そして、官僚組織を変質させたことも大きかった。世界に冠たる明治時代の太政官制度以来の官僚制度は、官僚の「公僕」としての矜持がその底流にあった。それが「内閣人事局」の創設で変質することになった。「忖度」という怪しげな言葉が霞ヶ関を徘徊し、政治の「劣化」にさらに拍車をかける懸念が指摘された。これが三つ目である。
そうした批判が付いて回っても、なぜなお長期政権だったのか。ここでもやはり、三つほどの背景を見ることができる。
まず、自民党内の「ポスト安倍」候補の脆弱さがある。政権への抱負の中に、安倍を凌駕するだけの骨太さが見られないのである。「(候補の)顔ぶれが物足りない。まあ、安倍でいいのではないか」という世論の消極的支持に助けられたということである。
二つは、非力な野党の存在である。政権を土俵際に追い込む熱量が、あまりにも欠けていた。おそらく安倍は官邸総理執務室で、長く密かに高笑いの連続ではなかったかと思われる。
三つは、与党を組む「平和の党」公明党のガンバリの不足だ。集団的自衛権容認問題ひとつ見ても、ほどほどのところで妥協している。終始、安倍の政策推進ペースを許し続けた感があるということである。
こうしたうえで、この8月上旬の読売新聞の世論調査は、衝撃的とも言える結果を伝えたのだった。
内閣支持率37%に対し、不支持率実に54%と、第2次政権発足以降最悪を記録した一方で、安倍のコロナ対応での指導力についても、78%が「発揮していない」としたのである。ここでは、ついに忍び寄った「落日」を感じさせたのだった。
そしての、ついにの体調不安による8月28日夕の退陣表明であった。
一方、こうした現状を打破する政権浮揚案はというと、これもとくに見当たらなかった。
9月に予定されていた改造人事も、断行できてもどれだけ新鮮味を打ち出せたかどうか。11月の米大統領選でトランプが負ければ、日米同盟の「盟友」を失うことになる。そのうえで、最大の浮揚策としていた来年に延期とされた東京五輪も、世界のコロナ感染拡大状況を見れば、今秋にはほぼ中止が決まることが決定的という視界不良の状態だったのである。
北方領土返還、北朝鮮拉致、憲法改正問題など、志半ばの無念の退陣のようであった。
■安倍晋三の略歴
昭和29(1954)年9月21日、東京都渋谷区生まれ(本籍地は山口県)。神戸製鋼所入社後、父親の安倍晋太郎外相の秘書官。平成5(1993)年7月、衆議院議員初当選。平成18(2006)年9月、第一次内閣組織。「再登板」は吉田茂以来64年ぶり。
総理大臣歴:第96代 2012年12月26日~
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。