こうした安倍の第1次政権“四面楚歌”の原因は、不可抗力でやむを得ぬ部分はあったにせよ、若さと経験不足から来た未熟さがさせた部分も多かった。
当選わずか5回で党のナンバー2の幹事長に就任、その後、官房長官になり、そのまま総理大臣になってしまった。この間、実務経験もほとんどなかった。周囲の嫉妬は別にしても、一言で言えば苦労が足りなかったゆえに、根回し不足など重なり、求心力を持てなかったと言うことである。
幹事長と政調会長の呼吸が合わなかったのも、人事に際してそのあたりを見抜く目がなっておらず、両者への情報もまた、入って来ていなかったことにほかならない。
また、修羅場をまったく踏んでいなかったことで、時に反発する議員の心のうつろいを読み切れなかった。すなわち、どうすれば人が動き、付いてきてくれるかの人心収攬の術(すべ)を持ち得ていなかったということのようであった。
トップが実務経験すなわち「プレーイング・マネジャー」としての経験の乏しい政権は、歴代おおむね「短命」で終わっている。安倍の第1次政権も、そうした中で「プリンス」から「キング」に定着できず、終わってしまったということである。
■安倍晋三の略歴
昭和29(1954)年9月21日、東京都渋谷区生まれ(本籍地は山口県)。成蹊大学法学部卒業後、米南カリフォルニア大学留学。神戸製鋼所入社後、父親の安倍晋太郎外相の秘書官。平成5(1993)年7月、衆議院議員初当選。平成18(2006)年9月、第一次内閣組織。総理就任時52歳
総理大臣歴:第90代 2006年9月26日~2007年9月26日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。