殿の最新書き下ろし小説「浅草迄」(河出書房新社)が、10月26日発売(予定)になります。殿は4年程前から、とにかく小説を書く作業に夢中で、会えば必ず「今、○○時代の話を書いてんだよ」といった感じで、執筆中の内容をオープンにしてきます。で、最新作は、幼少期から大学入学、そしてドロップアウトして大学を辞めるまでの話を書くと、3カ月程前に宣言していました。ちなみに、殿の大学時代の話といえば、
「毎日、家(足立区島根町)から新宿まで出て、そこから小田急線に乗って、(明治大学)工学部のある生田校舎(神奈川県川崎市多摩区)まで行くのがもう遠くてよ、気が滅入ったよ。だからよく新宿で降りてさぼってたけどな」
と、何度も聞いたことがあります。さらに、殿は途中下車した新宿について、
「とにかく当時の新宿はフーテンとかヒッピーとか、自称映画監督とか、怪しいヤツが集まっててよ。なんとなく新しいことが始まる雰囲気があったんだよ」
とも回想していました。
きっと、距離だけの問題ではなく、大変刺激的な街・新宿を素通りして小田急に乗って大学へ向かうのが、学生時代のヤング北野武君にとって、とてもしんどかったのでしょう。そんな殿が、はっきりとドロップアウトした日の心情を以前、こう語っていました。
「いつものように乗り換えで新宿降りた時、『あっ、俺、大学辞めちまおう!』ってふと思ったんだよ。もうそう決めたら、空の色が違って見えたね」
もし当時、殿の通学コースに、どこよりも刺激的な街・新宿がなかったら、殿は大学を辞めていなかったのでは? ひいては、のちに浅草にたどり着き、芸人になっていなかったのでは? と、勝手な妄想を抱いてしまいます。
で、新宿で“途中下車”してしまった殿ですが、だからといって、あの頃、新宿が中心となって盛り上がっていた“最先端と思われた文化”には染まらなかったそうです。
「映画でも芝居でも、あの頃のスタイルってのは、ドロドロした物を見せつけるんだよ。性とか、普段隠してるやつをよ。それがどうにも苦手で、このセンスは田舎者だと思ったね」
と、とにかく肌に合わなかったそうです。さらに、
「結局、今思えば、あの頃の新宿ではしゃいでたヤツっていうのは、田舎じゃモテなかったヤツが、こっちに来て目立とうとしてただけだろ。田舎者のコンプレックスだったんじゃねーのか?」
とも。そんな、新宿発の新しそうな文化にハマらなかった殿が何をしていたかというと──。
「早稲田に異常に麻雀の強いのがいて、よくそいつと組んでイカサマやってたんだけどよ。ある時、思い切りバレて、トイレの窓から逃げたことあったな」
当時の新宿の文化についてはよくわかりませんが、わたくし的には“やらかして窓から逃げる”殿のほうが、なぜか好みだったりします。はい。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!