「とりあえずこれで、中野あたりに部屋借りろ」
15年程前、わたくしは殿から毎月の家賃を出してもらい、生活していた時期がありました。当時のわたくしの平均月収は2万円弱。殿の弟子になって“いちばん苦しい時代”でした。
なぜに殿から家賃の援助を受けることになったのか? いきさつはこうです。あの頃、殿は毎年のようにカンヌやベネチアといったヨーロッパの映画祭へ呼ばれていました。イタリアにはオール外人さんだけの北野映画ファンクラブがあり、殿が行くたびに「映画の神様・北野武」といったおそろいのTシャツを着た、青い目の信者たちが殿を出迎えるのが恒例となっていたのです。そんなファンたちに殿は「日本へ遊びに来るようなことがあったら、いつでも連絡してくれ。泊まる所と飯は俺が世話するから」と言い放ち、その言葉をまるっきり信じた青い目のファンたちが、次から次へと日本へやってきては、殿がホテルを世話して、ご飯をご馳走するという、まるで竜宮城のような扱いを施す事態が発生しました。とにかく当時の殿の外人さんへの歓待ぶりはすさまじく、中には通訳のゾマホン付きで、京都旅行への招待を受けた外人さんもいたほどです。で、時を同じくしてわたくしは、殿の弟子になってからずーっと続けていた、先輩宅での居候や、知人の倉庫での間借りといった“家賃が発生しない生活”にピリオドを打ち、阿佐ヶ谷に家賃1万5000円の部屋を借りて、風呂なしトイレ共同の3畳半というその部屋での生活を軽い漫談にして殿によく話していました。そんなある日、
「お前、暇なら映画の台本手伝うか?」
と、仕事がまったくなかったわたくしを見かねた殿から夢のようなお誘いを受け、二つ返事で受諾すると、
「だけど1万5000円の部屋じゃ仕事できねーだろ。だったらあれだ。日本に来るあいつら(青い目の信者)のために部屋借りろ。それでお前がそこの管理人ってことで住みゃーいいだろ」
となり、冒頭の「中野に部屋借りろ」発言が勃発したのです。この時、殿が、
「あれだ。二段ベッドが便利だぞ」
「そうだ。二段ベッド買え!」
「二段ベッド売ってたか?」
と、なぜかやたらと二段ベッドを勧めてきたのを覚えています。あれは何だったのでしょうか?
で、殿からの指令どおり、中野に2DKの部屋を借り、やって来たイタリア人と住むようになって2カ月程すると、お次はフランス人のファンが来日。すると、
「北郷だけの部屋じゃ足りねーな。おい、中野にもう1個部屋借りろ」
となり、その後も次々と外人さんが来日し、気が付けば中野に3部屋を借りることとなりました。その全ての家賃を殿が援助し、わたくしを含めた月収2万円以下の弟子3人が、家賃10万円ほどのマンションに、それぞれ外国人と住むというおかしなバブルが到来したのでした。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!