●ゲスト:笠井信輔(かさい・しんすけ) 1963年、東京生まれ。87年、フジテレビにアナウンサーとして入社。97年、「FNNニュース555 ザ・ヒューマン」のメインキャスター担当。99年から19年9月まで「情報プレゼンターとくダネ!」のサブ司会兼メインアシスタント・ニュースデスクを歴任するなど、長きにわたり同局の看板アナウンサーのひとりとして活躍。19年9月30日付けでフジテレビを退職、フリーアナウンサーに。同年12月、「悪性リンパ腫」に罹患していることを公表。のちに「とくダネ!」に出演、病名が「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることや、公表に至った心情などを語る。今年4月、退院。6月に完全寛解の診断を受け、仕事に本格復帰した。
約20年にわたって「とくダネ!」に出演、フジテレビの顔として活躍してきたアナウンサーの笠井信輔氏。しかし、2019年10月にフリーに転身するやがんが発覚、4カ月に及ぶ闘病生活を強いられることに。今や完全寛解し、本格的に仕事に復帰した長年の朝のライバルに、テリーが迫る。
テリー お久しぶりです。大変でしたね。
笠井 はい、ほんとに大変でした。
テリー フジテレビをお辞めになったのが2019年の‥‥。
笠井 9月末日です。ですから、10月1日からフリーになって、その2カ月後には、がんで入院してしまいました。
テリー ねぇ。これからバリバリ働くぞって時に。
笠井 ただ、退社する2カ月ぐらい前から、もう具合は悪かったんですよ。トイレに行ってもお小水はなかなか出ないし、出る時も痛みが伴って。
テリー それ、夜中ですか。僕も前立腺肥大で、夜中に何度もトイレに起きるんですよ。
笠井 そうなんです。僕も夜中は、だいたい2時間に一回ぐらいトイレに起きましたね。おまけに腰が痛くて、もんどりうちながら起きるんです。で、トイレに入っても脳の血管が切れるんじゃないかっていうぐらい、グーッとイキまないと出ない。最初の頃はまだマシでしたけど、「とくダネ!」をやめてからはとにかくヒドくて。あまりにも腰が痛くて起きられないから、介護用ベッドを買ったぐらいです。
テリー 病院に行ったのはそうなってから?
笠井 いえ、なんとなく下半身に違和感を感じて、病院には早い段階で通ってるんです。ずっと番組を一緒にやっていた小倉(智昭)さんが、がんで膀胱を全摘してますから、相談したら「すぐ検査をしたほうがいい」と言われたので。ただ、最初はなかなか原因がわからなくて、「がんではないようです」と診断されたんですよ。
テリー あ、そうなんだ。
笠井 ところが一向によくならないから、もう少し詳しく調べてみましょうと。それで10月1日があらためてがんの検査日だったんです。だから、フリーになって最初のスケジュールが「病院」だったんですよ(苦笑)。
テリー それで、がんとわかったんですか。
笠井 確定まで2カ月ぐらいかかりました。「悪性リンパ腫」って判定しづらいんですよ。希少がんでもありますし。結局、僕も「具合が悪いな」と思ってから確定するまで、4カ月かかりました。
テリー わかった時はどんな気持ちだったんですか。
笠井 PET検診というのをやりまして。そうするとがんのところが黄色く光るんですけど、血液のガンですから全身に散らばっていて、首から下が真っ黄色なんです。それを見た時は、「もう死ぬのかな」と。
テリー 思いますよね。
笠井 それに入院するまで主治医の先生がステージの話をしてくださらなかったんですよ。僕もそこまで気が回らなかったというか、聞かなかったんですけど‥‥。で、入院後に聞いたら、「ステージで言えば、IV(4)です」と。
テリー いちばん高いステージですよね。
笠井 はい。それを最初に聞いた時は、さすがに「もうダメか」と思いましたね。