永作は過去にも07年公開の映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(ファントム・フィルム)でブルーリボン賞助演女優賞、11年には映画「八日目の蝉」(松竹)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞している。前者が37歳、後者は41歳と、遅咲きの女優とも言える。映画ライターが振り返る。
「そもそもアイドル時代から芸能界は腰かけ気分で、高校卒業後は東京の調理師専門学校へ進学するなど、彼女の無成長ぶりにマネージャーはあきれていた。明日の仕事で用意する持ち物を聞くと『やる気と前向きな心』と答えていたぐらいですからね(笑)。転機は『ribbon』解散直前の94年の初舞台。『劇団☆新感線』の客演をきっかけに役者に進む決意をし、同年のドラマ『陽のあたる場所』(フジテレビ系)以降は、女優として活躍する機会が増えました」
人気アイドルグループ出身で「永遠のベビーフェース」と言われる愛くるしさ、そして大手芸能事務所所属とくれば、清純派路線を思い浮かべるが──。
スポーツ紙デスクがその転機を語る。
「97年のドラマ『青い鳥』(TBS系)で耐える女を演じるなど、清純派が断りそうな役どころを地道に演じていました。そして99年4月につかんだ初主演ドラマ『週末婚』(TBS系)では、初回のオープニングから元カレ役の沢村一樹を相手に全裸のシャワーシーンを演じるなど、大胆な濡れ場にも挑戦しています」
このドラマが放送される5カ月前の98年12月、「月刊永作博美」(新潮社)が発売され、話題になった。
「セミヌードとも言える過激なショットもありましたね。そうした大人びた彼女に注目が集まる中でのこのドラマ。唇を貪り合うようなディープキス、小柄ながらも豊かな乳房に沿って流れ落ちる水滴、さらに第5話ではビルの谷間で野外ファック、第7話でもオフィスセックスと、淫らな役どころを好演した」(スポーツ紙デスク)
30歳を前にアイドルの殻を破り始めた永作は「30代のテーマは攻め」と宣言。02年のドラマ「婚外恋愛」(テレビ朝日系)では、スワッピングにも挑戦する。根津甚八と釈由美子が演じる夫妻からプレイを申し込まれると、夫役の堺雅人が拒絶する中、「いいんじゃない? 私はかまわないと思う」のひと言で物語が動き始める。当時、永作は、
「そりゃあ、最初はオイオイっていう感じですよ。私ならとてもOKできません。なんだかイヤらしい響きですよね。でも、男女関係をいろいろ考えさせられるから、案外いい刺激になると思いますよ」
と笑って答えていたほどだ。
この頃から「難しい役ほど楽しい」と発言するようになり、演技派女優としての片鱗を見せ始める。
そして08年、ついに「人のセックスを笑うな」(東京テアトル)で映画初主演の座を射止めることに。
「15歳年下の松山ケンイチを相手に唇だけでなく、顔中にキスの嵐。そうしたラブシーンが随所にあり、パンストにパンティ姿といった色っぽいシーンもふんだんに盛り込まれている。この頃からですね、大人の色気を感じるようになったのは。映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の授賞式では着物姿で現れ、凛とした和風美人という趣で周囲を驚かせていました」(映画ライター)