「巨人三本柱」として、1990年代を中心に活躍した元プロ野球選手の槙原寛己氏が、みずからのYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉で、2001年のシーズンを限りに引退を決意した「意外な理由」を明かした。
同チャンネルの6月21日付け投稿回〈巨人軍史上最高&12球団歴代最高のクローザーは誰?【世田谷のダメ魔人とは?】〉。槙原氏は、タイトルにもある〈巨人軍史上最高のクローザー〉のベスト3を発表。巨人と西武ライオンズで通算131セーブを上げた鹿取義隆氏を第3位に挙げ、81年に最優秀救援投手に輝いた角盈男氏を第2位に、そして第1位は「槇原寛己です」と冗談めかして自身を推して、笑いを誘った。
もっとも、槇原氏はクローザーに転向した98年にいきなり4勝18セーブを上げる活躍を見せているのだが、この件はさておき、99年6月12日に甲子園球場で行わた「阪神-巨人戦」に話は及んだ。同点で迎えた延長12回1アウト一、三塁の場面。槙原氏の敬遠球を新庄剛志氏が打ち返し、サヨナラ負けを喫したのだった。
「次の東京ドームの試合から、僕に対する声援が無くなった…。巨人ファンからのメッセージだったような気がする。阪神ファンが、ピッチャー槙原って(場内アナウンスが)言ったら、ワーって沸いて…このときに僕はもう引退しようと思いましたから」と口元を引き締めた槙原氏。
99年にも4勝23セーブを上げたが、翌年は9セーブにとどまった槙原氏。現役時代には、新庄劇場とも称された新庄氏がミスターパーフェクトの心を砕いたとは…。このチャンネルに新庄氏を招いて当時を振り返り、舌戦を繰り広げてもらいたいところである。
(ユーチューブライター・所ひで)