ヤクルトスワローズ一筋18年、通算2097安打で名球会入りを果たした元プロ野球選手の古田敦也氏。古田氏は1989年にドラフト2位でヤクルト入団し、90年にはルーキーながら106試合でマスクをかぶり活躍。90年は折りしも、故・野村克也氏がヤクルトの監督に就任した年であり、野村監督とともに、4度のリーグ優勝、3度の日本一に大きく貢献した立役者であった。
その古田氏が、総合スポーツのYouTubeチャンネル〈スポーツライブプラス〉に出演。「思い出の試合は?」との質問に、古田氏が口にしたのは、リーグ優勝や日本一をかけた試合ではなく、ある投手のカムバック戦だった…。
同チャンネルの6月24日付け投稿回〈【古田敦也ゲスト出演】上原浩治からの感謝の気持ち 思い出のあの試合も語る〉を観ると、それは、92年9月24日の対広島カープ戦のことだという。7回2アウト走者1塁の場面、マウンドに上がったのは…82年にドラフト1位でヤクルト入団、88年シーズン中盤でひじ痛により戦線離脱した荒木大輔氏の、1541日ぶりとなる復活登板だったのだ。荒木氏は早稲田実業高校時代、春夏甲子園大会に5季連続で出場し、甘いマスクから女性人気も高く、「大ちゃんフィーバー」として社会現象にもなったほどだ。
「僕らの世代で言うとスーパースターですよ」と古田氏に言わしめるほどの荒木氏の球を受け、ピンチを三振で仕留めると、その後、古田氏が逆転2ランを放ち「5対4」でヤクルトが勝利。「イケイケモードになって、彼(荒木氏)が来て転機になった」と、92年の野村ヤクルト初のリーグ優勝を後押しするきかっけになったと古田氏は懐かしく振り返った。
その荒木氏は、現在、北海道日本ハムファイターズで一軍投手コーチを務めている。ぜひ機会があれば、この番組に招いて当時を懐かしみ、古田氏とのクロストークを繰り広げていただきたいものだ。
(ユーチューブライター・所ひで)