主にヤクルトで活躍した元プロ野球選手・荒木大輔氏といえば、1982年ドラフト1位でヤクルトに入団。87年には自身キャリアハイとなる2ケタの10勝を挙げる活躍を見せるも、翌88年はシーズン途中でひじ痛を発症。アメリカに渡り、当時、日本プロ野球では、三井雅晴氏(ロッテ)、村田兆治氏(ロッテ)に続いて3例目となる、トミー・ジョン手術を受けている。
しかし、リハビリを焦るあまり、症状が悪化して翌年に再手術。91年には椎間板ヘルニアを患い、復帰登板は4年余りが経過した92年9月24日、対広島カープ戦だった。
この試合でマスクを被ったのは、入団3年目ながら、前年の91年に首位打者のタイトルに輝いた古田敦也氏。マウンド上、荒木氏の期待と想定とは明らかに違う球種を要求されるシーンもあったようで…。
プロ野球のOBが1300人所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉に荒木氏が出演した12月7日付け投稿回で、その、「4年ぶり登板」時の興味深いエピソードが明かされている。
初のバッテリーを組むことになった古田氏に、自身の持ち球を一通り知らせ、フォークボールに関しては、決め球というよりも、抜けるようなチェンジアップ的なボールだと説明。ところが、試合が始まると、当時広島で4番を打っていた江藤智氏を追い込んだところでフォークのサイン…「コイツおかしいんじゃないの?」と疑問に思いつつ投げたところ、荒木氏いわく、「生涯一」の落ち幅だったそうだ。
古田氏を「時々ギャンブル的なことやるんで…」とも評した荒木氏。当チャンネルに招き、古田氏に当時の考えを訊ねていただきたいところだ。
(ユーチューブライター・所ひで)