昭和の歴史に名を刻む音楽プロデューサー・酒井政利さんが7月16日、心不全のため85歳で亡くなった。約350人の歌手を世に送り出し、プロデュース曲の売上げ累計は約8700億円にも上る。特に日本のアイドル第1号と呼ばれた南沙織、今なお現役で活躍する郷ひろみ、伝説のままに引退した山口百恵の3人は、酒井さんのプロデュースの中でも至宝と呼べる。
手塩にかけた南沙織が「日本レコード大賞」の歌唱賞に初めて選ばれた75年12月31日、その会場に酒井さんの姿はなかった。実はその日、こんな電話が入ったのだ。
「もしもし、酒井さん。私、今日のスケジュールが空いているんです。どこか孤児院に慰問に行きたいのですが」
電話の相手は、南沙織とともに絶大なアイドル人気を誇った天地真理である。いくら誰もが知る人気者と言えど、大みそかに突然、来訪を受け入れてくれる施設はない。酒井さんは電話の真意を明かした。
「この年、ついに紅白に落ちたことがショックだったんでしょうね。私はレコ大や紅白の会場に行くのをキャンセルして、彼女の話し相手として大みそかを過ごしました」
また別の日には、銀座のデパートの屋上で、有名な演歌歌手を1時間も待っているのに来ないとの電話をもらったこともあった。男に遊ばれているという感覚がないことを、酒井さんは不憫に思った。近年も体調不良が続く天地を、何かにつけて面倒を見ていた。多くの歌手に慕われる人柄がそこにあったのだ。
(石田伸也)