1995年のオフに起きた、元プロ野球選手・新庄剛志氏の引退宣言騒動はご記憶にあるだろうか。11月19日の契約更改交渉後の会見にて「野球に対するセンスがないって見切った」と謎とも思える言葉を残して現役引退宣言を突然行ったのである。
その真相について、阪神タイガースで活躍した元プロ野球選手・中西清起氏のYouTubeチャンネル〈中西清起の虎の穴チャンネル〉に新庄氏が出演し、当時を振り返った。7月18日付け投稿回〈【裏話】ついに新庄がきてくれましたので、阪神時代の裏側全部暴露します〉とタイトルして公開された投稿回でのことだが、95年7月、巨人との公式戦でヒットを打った新庄氏は、サードを曲がったところで足首をひねり、ケガの治療を兼ねて2軍に。アインシングにと真っ先にトレーナー室に向った新庄氏だが、練習に顔を出さなかったことから遅刻扱いとされ、足首をケガしているにもかかわらず、当時の藤田平2軍監督の命で1時間の正座をさせられた。後に言う「正座事件」である。
しかも、連帯責任として、当時ベテランの真弓明信氏まで正座に巻き込まれていたそうで、「正座しながら、もう辞めたるわ。何でこんなチームで野球せなあかんねん!」と、内心毒づいていたと語る新庄氏。そして、シーズン途中、中村勝広1軍監督が「途中休養」としながらも、成績不振から事実上の解任となり、藤田氏が1軍監督に昇格。よって、新庄氏の突然の引退宣言となったようなのだが、「でも、あの当時若かったし、イケイケなとこ…調子乗ってた部分があったから、そういう行動を起こしたんだけど…」と反省する姿も見せた新庄氏は、引退宣言の2日後、父親の病状が悪化したことを理由に、一転、現役引退を前言撤回している。
成績不振が長く続き、当時は暗黒時代とも呼ばれた阪神。加えて、「鬼平」とアダ名をつけられた藤田氏がらみとなれば、まだ騒動には“闇”の部分が残っている!?
(ユーチューブライター・所ひで)