現在、二刀流としてMLBで大活躍の大谷翔平だが、日本プロ野球界において、その“先輩”ともなる可能性のあった選手がいたことをご記憶にあるだろうか。元プロ野球選手、新庄剛志氏である。故・野村克也監督が阪神の監督に就任した1年目の1999年、新庄氏に外野手との兼務を命じている。そして3月5日、熊本・藤崎台球場で開催された対巨人のオープン戦でマウンドに上がり、元木大介氏、二岡智宏氏、後藤孝志氏を3者凡退に切って落としたのだった。
その新庄氏が、元プロ野球選手・中西清起氏のYouTubeチャンネル〈中西清起の虎の穴チャンネル〉に出演。“投手転向”のきっかけは、ほんの遊び心が野村監督の心に火をつけたのだと明かしている。
7月25日付け投稿回〈天才・新庄剛志が投手にガチ転向させられそうになった話の真相〉を観ると、ホームベース付近に落ちていたボールを拾い、バックスクリーンにノーステップで、しかもノーバンで投げたという新庄氏。これを見ていた野村監督が新庄氏に“二刀流”を命じたようで、中西氏から野村監督の前で投げた狙いは「ピッチャーやろうと思ったの?」と問われると、「遊びのつもりで…こんな野球選手もいるんだぞっていうところを見せようと思っただけ」と、ほんのご挨拶のつもりだったと振り返った新庄氏。
当時、シーズンでも新庄氏のマウンドさばきが見られるものと思っていたが、左大腿筋損傷で、このオープン戦の翌日から試合を欠場し、一気にトーンダウンした。とはいえ、先発、中継ぎ、抑え…と現在の投手分業制に早々に着手していたとされる野村監督。新庄氏を見る目にも、間違いはなかったはずで、もしケガに見舞われていなければ、大谷に先んじて「二刀流・新庄」として活躍していたのかも!?
(ユーチューブライター・所ひで)