永井豪原作の「ハレンチ学園」は、掲載した少年ジャンプの部数を飛躍的に伸ばす。そして映画化、ドラマ化ともにヒロインの十兵衛を演じた児島美ゆき(69)もまた、各メディアを席巻した。
──東京12チャンネル(現・テレビ東京)のドラマとしては、今も歴代最高視聴率の32%を記録したのが「ハレンチ学園」(70~71年)。
児島 どうして私がヒロインに選ばれたのか、最近になってやっとわかったの。その当時、カルメン・マキさんとか陰のある人が多かったのね。
──サイケデリックな衣装と、濃いマスカラが目立つ女性歌手がブームでした。
児島 で、私はひたすら明るいということで起用されたのかな。
──現場は楽しかったですか。
児島 あのね、まず日活のほうの映画が先だったんだけど、監督が率先して「スカートめくり」をやっているの。
──日本中に大ブームを起こして、PTAが問題視した名場面ですね。
児島 そう、そしたらカメラマンも照明の人も、スキあらばめくっている感じ。出演している私たちも、カメラが回っていないところでもスカートめくりに熱中したわ。
──いい雰囲気だったことがわかります。
児島 監督が率先してやることで、気持ちをひとつにする狙いだったんでしょうね。おかげで毎日が修学旅行に行っているような楽しさだったな。実は、映画の1作目ではスカートの下に水着を着させられたけど、試写を見たら、めくられた時に不自然で。その次からレースのかわいいパンティーをはくようにしました。
──当時、高校を卒業したばかりの18歳でした。
児島 就職するべきかどうか迷っていた時だったから、このお話が来て本当に助かったわ。
──ドラマ・映画だけでなく、バラエティー番組でも売れっ子に。特に土居まさると組んだ「TVジョッキー」(71~82年、日本テレビ系)の司会は、記憶に残ります。
児島 私が初代アシスタントを6年ほど務めたのかな。土居さんとはラジオでも共演したし、ローラーゲームの番組とかユリ・ゲラー来日の特番とか、週5日はご一緒していたわ。でも、ゴハンに連れて行ってもらったのは1回だけ(笑)。
──印象に残っている言葉はありますか。
児島 私、当時から本当に胸が大きくて、テーブルの上におっぱいを乗せることもあって。土居さんに「その胸、何とかしろよ」って怒られたりね。
──ボインブームの元祖的存在でしたね。
児島 ただその後、会う人ごとに「お世話になりました」って何年も言われ続けたのには、心が傷ついたな。今は大丈夫だけど、50歳までは言われたくなかったのよ。
──なるほど、こちらも気をつけます(笑)。さて、現在も歌やコントの舞台に積極的だそうで。
児島 8月には「ハレンチ学園」から50年だったので、舞台でセーラー服を着てしまったわよ。死ぬほどイヤだったけど、スタッフ全員が「着ましょう」って言ってきたので。まあ、着たら案外かわいかった(笑)。
──ぜひ「児島美ゆき オフィシャルサイト」で検索を。