70年代にブームを巻き起こした「ハレンチ学園」は、ドラマ・映画としても大ヒット。そのヒロインだった十兵衛役の児島美ゆき(64)は、明るさと、トランジスタグラマーぶりが魅力だった。
──ボインという言葉が生まれて半世紀がたちます。
児島 50年前かあ‥‥。私、その頃は「仮面の忍者赤影」や「ひょっこりひょうたん島」を歌ってたな。
──えっ、歌手だったんですか?
児島 14歳で「ヤング・フレッシュ」というコーラスグループに選ばれて、赤影なら「♪手裏剣しゅしゅしゅっしゅしゅ」とか、ひょうたん島なら「♪ちゃ~っぷ、ちゃ~っぷ」とか、バックで歌ってました。
──初耳です。そして児島美ゆきとして晴れて主演デビューを飾ったのが「ハレンチ学園」ですね。日活で映画化、さらに東京12チャンネル(現・テレビ東京)でドラマ化され、その全てに出演しているのは児島さんただひとり。
児島 私が高校を卒業したばかりの頃に撮影が始まって、学校の延長みたいで楽しい現場でした。もちろん、スカートめくりは毎週、必ず入っていたけど(笑)。
──70年代を代表するボインちゃんでしたが、この撮影が始まった時には、すでに発育は完了?
児島 まだだったと思います。ここから20歳にかけて急に大きくなって、母親に「あんた、その邪魔くさい胸を何とかしなさいよ!」って言われた。
──お母さん、ひどい(笑)。
児島 それまではペチャパイの部類だったから、そのギャップにお母さんも驚いたのかもしれない。あっ、そうそう、その当時は私、ボインの名付け親の大橋巨泉さんの事務所にいたの。
──おお、見えない糸がプロポーションにも影響を与えたんですね。そして「ハレンチ学園」の人気を機に、伝説のバラエティ「TVジョッキー」(日本テレビ系)の初代アシスタントに。
児島 プロデューサーに「キミは胸が大きいから採用しよう」だって(笑)。司会の土居まさるさんとはラジオでもご一緒してたんだけど、ラジオのブースって、ちょうどテーブルの高さに胸が乗っかるんですよ。そしたら土居さんに「お前なあ、そのおっぱいを何とかしろよ」って言われてました。
──それにしても「TVジョッキー」って、日曜の昼どきに「ゴキブリを食う少年」とか「大蛇の風呂に入る男」とか、とんでもない番組でしたね。
児島 私、蛇が出るとスタジオ中を大声で逃げ回っていたもん。でも、そんな部分を含めて、あの頃のテレビって、今にないおもしろさがあったんだと思う。
──確かに、テレビにとって幸福な時代だったかもしれませんね。
児島 実は私、「ハレンチ学園」から何年かたって、会う人ごとに「お世話になりました」って、意味深に言われるのがすごくイヤだったの。でも、今は「ありがとう」って素直にお返事できる。あの当時、ヒロインの十兵衛役をやれる明るいキャラが私のとりえでした
──そうです、明るさとグラマーの融合が大きな魅力でした。
児島 1月20日に東京の「新橋ZZ」で久しぶりに歌のライブをやるので、ブログをチェックしてもらえれば。今でも筋トレやエステでEカップをキープしているから、ぜひステージで!