1985年、阪神タイガースは、吉田義男監督のもと、2リーグ制以来初の日本一を奪取した。打っては、4月17日の対巨人戦、先発でマウンドに上がった槙原寛己氏から、ランディ・バース氏、掛布雅之氏、岡田彰布氏のバックスクリーン3連発も記憶に新しく、また外国人選手、リッチ・ゲイル氏が13勝で阪神の勝ち頭になると、中西清起氏が19セーブで最優秀救援投手のタイトルに輝くなど、投打が噛み合うバランスの良いチーム構成だった。
その85年に阪神で9勝を挙げ優勝に貢献した元プロ野球選手・池田親興氏が、自身のYouTubeチャンネル〈池田親興のちかチャンネル!〉の掛布氏をゲストに招いた12月16日付け投稿回で、「誰1人欠けても優勝できなかった」と振り返っている。そのうえで、「この人」がいなければ間違いなく優勝できなかったとも語る、その人物は…?
阪神優勝当時、代打の切り札だった川藤幸三氏がその人で、池田氏の記憶によると、ヤクルトに負けて6連敗を喫し、バスに乗り込んだ時のこと。ファンの目から逃れようと選手がいっせいにカーテンを閉めると、「お前ら、連敗しといて、下向いて情けないツラをファンの方たちに見せて、お叱りを受けろ!(カーテンを)開けろー!」と川藤氏がゲキを飛ばすといったチームリーダーのような存在感を放っていたのだそうで、「そういう存在って、阪神が優勝するために必要だったのかもしれない」と掛布氏も同調。レギュラーではない立ち位置ゆえに、川藤氏が首脳陣と選手のあいだに入り、言いにくいことを伝令、切り盛りしていたことも掛布氏が振り返った。
昨年惜しくも優勝を逃した阪神。22年のシーズン向けて、川藤氏のような存在がキーを握るかもしれない…?
(ユーチューブライター・所ひで)