阪神タイガース一筋18年、元プロ野球選手の川藤幸三氏と言えば、阪神が21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ制以来初の日本一に輝いた1985年には、代打としての活躍が色濃く、仮に三振に切って落とされても、バットを肩に担ぎ、太鼓腹を揺らして堂々とベンチに戻る姿が印象的だ。歯に衣着せぬ関西弁の物言いも相まって、相手チームにしてみれば、ふてぶてしい態度にも思えたことだろう。
しかしながら、そんな川藤氏を、実は「繊細な人」と慕う人がいた。阪神、ダイエー、ヤクルトで活躍した元プロ野球選手・池田親興氏のYouTubeチャンネル〈たかほー 池田親興のちかチャンネル!〉の、12月15日付け投稿回に出演した、「ミスタータイガース」こと、元プロ野球選手の掛布雅之氏だ。
1974年、掛布氏のルーキーイヤー当時、川藤氏はレギュラー定着にメラメラと闘志を燃やしていたそうで、「肩も強くて、足もめちゃめちゃ速かった。(中略)バントもできて、いわゆる2番タイプのバッターだよね、右にも打てるし」と、川藤氏をベタ褒めの掛布氏。
2番タイプで犠打と言えば、主に巨人で活躍し、通算533犠打バントの世界記録をマークした川相昌弘氏を思い浮かべる。川藤氏の74年を振り返ると、20犠打をマークしており、これはこの年のリーグトップだった。
前述の阪神日本一の頃には“走れない川藤氏”の印象が残っているが、現役終盤の川藤氏を知っている池田氏が「オレは要らんもん捨てたって言ってました。走ること、投げることを捨て、バット1本に絞ったんやって」と続けた。
レギュラー定着が見えた頃合いにケガで泣かされた苦労人の川藤氏。プロでの生きる術をバットに託したのだと、しみじみ感じさせる、見ごたえのある回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)