女優・光本幸子(みつもと・さちこ)が世を去ったのは、2013年2月22日のことだった。享年69歳。「男はつらいよ」シリーズ第1作「男はつらいよ」の初代マドンナである。
同作品の公開は1969年8月27(昭和44)年の夏。今から52年前の作品である。当時、光本は26歳であった。
マドンナとは、古いイタリア語で「ma donna」=「わが淑女」の意。夏目漱石「坊っちゃん」にも登場するが、この言葉は、今や、寅さんシリーズでの馴染みが深い。その初代マドンナが光本である。
彼女の逝去にあたり、寅さんシリーズ監督・山田洋次は次の言葉を送っている。「劇団新派で鍛えられた演技力の確かさと、背筋の通った凛とした美しさは、その後48作続くことになったシリーズの初代マドンナにふさわしいものでした。」
劇団新派とは、歌舞伎=旧派に対しての新派。光本は、初代水谷八重子に誘われての新派入りであった。「男はつらいよ」のクレジットにも、〈光本幸子(新派)〉とある。
「寅ちゃん」とあくまでもやさしく声をかけるマドンナ・冬子。
あの御前様(笠智衆)の娘であり、寅次郎(渥美清)とは幼馴染み。寅さんが、その昔、「出目金」のアダ名でからかった娘である。奈良での再会であったが、マドンナの冬子は寅さんに、「覚えてるわ、寅ちゃんでしょう?」「ちっとも変わらない同じ顔」と声をかけるのであった。
この邪気のない言葉こそが、寅さんのその後のドタバタ劇を準備するのである。
思えば、男にとってのマドンナとは、常に邪気なき存在であり、みずからの妄想をためらうことなく全開にできる対象であり続けるのである。
「ねぇ、寅ちゃん 気が変わったらお電話ちょうだいね」
「少し痩せたんじゃないの? まあ、そういや 顔色も悪いわ 大丈夫なの?」
「憂さ晴らしに、これからどっか行きましょうか?」
「ねっ? 行きましょう」
そして、別れ際に「おやすみなさい」と、寅さんと握手する「お嬢様」冬子であった。
冬子にとっては、日常であっても、寅さんにとっては、この上ない非日常なのである。
そして、冬子の縁談がまとまったことを知り、寅さんは「身を引く」のである。
「お嬢さん、お笑い下さいまし。私は死ぬほどお嬢さんに惚れていたんでございます」
後に、定番となるマドンナとの悲喜劇の嚆矢となったシーンである。その初代マドンナこそが光本であった。罪深い、いや罪の自覚などありはしない「お嬢様」の誕生である。
さて、実は、このマドンナとのくだりは、第1作「男はつらいよ」では、サブストーリーであり、本線は、さくらと博の馴れ初めばなしであり、その結婚と満男の誕生までが描かれるのだが、それは本編を観てのお楽しみ。
のちのち語られる、おいちゃん渾身のギャグ。
「おい、枕、さくら出してくれ」は、この第1作で飛び出した。
2022年の干支は寅。12年ぶりに48作を観なおしてみるのも一興と言うべきか。
(文中敬称略)