1980年のプロ野球ドラフト会議は、現在、巨人の監督を務める原辰徳氏が目玉だった。他にも広島、大洋(現・横浜DeNAベイスターズ)、日本ハムから1位指名を受けたが、この年に巨人の新監督に就任した藤田元司(故人)がクジを引き当てたのだ。
一方、パ・リーグを見ると、石毛宏典氏が、西武、阪急ともに1位指名の競合の上、西武に入団。石毛、原の両氏は81年に新人王をともに獲得。日本シリーズでは、「常勝球団」で石毛氏がチームリーダーの西武対、「伝統球団」で原氏が4番の巨人戦で幾多の名勝負を繰り広げてきたものだ。
その石毛氏が、巨人三本柱で活躍した槙原寛己氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉、1月29日付け投稿回に出演。高校3年時の1974年ドラフトで、ロッテオリオンズから6位指名を受けたが拒否している石毛氏は、そもそもプロに行く気はなく、その頃はアマチュア野球の指導者になることを胸に秘めていたそうだ。
駒澤大学卒業後は社会人野球のプリンスホテルに進み、将来はホテルの支配人を思い描くようになっていったと振り返る石毛氏。そのため、プリンスホテル系列の西武であればプロに行くことも致し方なし…と決意していたという。そして、実際に西武からドラフト1位指名がかかった時は、「やったー!」ではなく、当時の支配人からも「残念だったな…」といったムードになったとか。
支配人として将来を嘱望されていたようで、阪急が獲得していれば、プロ入りはなかったと石毛氏は明言している。
プロ入りを拒否していた石毛氏のプロ入りは、その後の活躍を見れば必然であろう。見えない何かに導かれるようにプロ野球選手になったとも思え、“野球の神様”という言葉が頭をよぎる秘話であった。
(ユーチューブライター・所ひで)