今や死語になったと言ってもいい「女遊びは芸の肥やし」。だが、おおらかだったと言われた時代にも許されざる不貞はあった。パートナーから三行半を突き付けられ、危険な火遊びは大きな代償を支払うハメに。
プレイボーイとして鳴らした山城新伍(享年70)は、花園ひろみ(81)への熱烈なプロポーズが実り、62年に結婚。自身の不貞により、85年に一度は離婚するも「復縁したい」とラブコールを送り続けたことで91年に再婚した。だが、その後も反省せずに不貞を繰り返した結果、ついに愛想を尽かされて99年に再び離婚してしまう。以降、山城は花園だけでなく長女からも分籍されるなど、家族と死ぬまで絶縁状態となった。
その後、街を徘徊する寂しげな姿も目撃されたが、ひとり老人ホームに入居して孤独な最期を迎える。妻娘は09年の山城の葬儀やお別れの会にも参列していない。石川氏が語る。
「2回目の離婚が発表された夜、たまたまクラブに行ったら山城さんがいて『シーッ』って。別れたくなかったのに、自身の不始末で奥さんと別れることになってしまい、ショックで飲んでいた様子でした」
愛想を尽かされた悲哀は三田村邦彦(68)も同様である。高橋かおり(46)との不倫が発覚し、妻の中山麻理(74)から家に入れてもらえない一文なしの姿がキャッチされた。2人は99年に離婚するが、城下氏はやや同情的だ。
「鍵を替えられて家に入れず、キャンピングカーで寝泊まりしてね。記者会見で慰謝料や子供の養育費の額を聞かれて『何もないです。わかるでしょ』と訴えてきたんですが『わかりません』と返したら困っていました。入ってくるお金は中山さんが別の口座に移して持っていってしまうので、財産分与しようにもすでにない状況でした。三田村さん、いい人なんですよ(笑)」
93年に妻のカイヤ(59)が仁王立ちでにらみつける中、斉藤由貴(55)との不倫を謝罪する前代未聞の会見をしたのは川崎麻世(59)だった。
90年に結婚した川崎とカイヤは、この謝罪会見以降も双方に不倫疑惑が何度も持ち上がって私生活の話題を世間に振りまき続け、約4年にわたる離婚調停を経て20年に、慰謝料なしの離婚を求める川崎が全面勝訴。第二審の判決も間もなく出そうだという。
結婚生活が謎に包まれていたという意味では、石坂浩二(80)と浅丘ルリ子(81)も無視できない。
2人は71年に結婚するが、ほどなく別居している。時は流れ、00年に夫婦揃って唐突な離婚会見を行った。
「体面上の結婚生活を続けてきましたが、会見はあまりに突然で、浅丘さんはなぜ会場に呼ばれたかもわかっていないほどでした。石坂さんに別の女性がいることなど百も承知でしたからね。石坂さんは実母の介護を離婚の理由としましたが、会見のわずか5日後に再婚。ずっと自分を支えてくれた事務所の女性スタッフに財産分与をしたかったのでしょう。いずれにせよ、離婚するまで同じマンションでの別居。不思議な関係でしたね」(城下氏)