そんな聖子が一方的に「生まれ変わったら一緒になろうね」と約束したことになっている郷は、87年に二谷友里恵(57)と結婚するが、98年に離婚した。
同年発売の自著「ダディ」(幻冬舎)で郷自身は、二谷を「潔癖症」として、離婚の原因を自分の複数の女性との不貞だと認めている。一見、潔く思えるが、01年に二谷が出版した「楯」(文藝春秋)で、郷の不貞は「ダディ」での告白よりひどかったと追い打ちをかけられる始末だった。
そんなアグレッシブな女漁りの実態を、ベテラン芸能記者が明かす。
「郷はちょっとでもいいと思ったら、どんな女性とも関係を持とうとするんですよ。郷より年長者の某大物俳優が夫婦でパーティーに出席した時のこと。大物俳優が場所を替えて飲もうとしていると、奥さんが先に帰宅したいと。すると郷が送っていくと申し出てくれたので、感謝したんです。ところが、自宅の前に着くと帰ろうとせず、家の中に一緒に上がり込もうとしたそうで、奥さんがパニックになったといいます」
くしくも聖子同様に、3度の結婚を繰り返している。
さて、明菜とマッチの会見から18年後、金屏風をバックに離婚会見を行ったのが春風亭小朝(67)と泰葉(61)。2人のほか、泰葉の弟の林家正蔵と林家三平も同席し、離婚会見には珍しい和やかな雰囲気だった。
しかし、2人が婚姻関係にあった時期に小朝が事務所のマネージャーと不倫していたと一部週刊誌が報じるや、状況が一変。
「泰葉が小朝のことを『師匠』から『金髪豚野郎』と呼ぶようになりました。さらに小朝に数百通の脅迫メールを送るまでにエスカレートしていったんです」(ワイドショー芸能デスク)
その後も泰葉は、イラン人会社経営者との婚約&スピード破局や自己破産を公表するなど、世間に奇天烈な話題を振りまき続けるのだった。
連続ドラマのように視聴者を捉えて離さなかったのは、船越英一郎(61)と松居一代(64)の離婚劇にトドメを刺す。
一時期は芸能界のおしどり夫婦として知られたが、17年に突如、松居が船越の不倫疑惑などを動画投稿サイトなどで訴え続けたのだ。さらにはカツラやバイアグラの愛用などもバラし、船越の所属事務所が名誉毀損や業務妨害にあたるとして、裁判沙汰にまで発展した。石川氏は同夫婦の積年に及んだ深い亀裂について、
「2人には昔から夫婦不仲の噂がありました。船越さんが腰を痛めて入院したんですが、そこで夫婦ゲンカが始まってしまった。ベッドの上で首を絞められたって。彼がナースセンターに繋がるベルを鳴らしたら、看護師さんが集まってきて2人を引き離したといいます。船越さんの劇団の幹部と親しかったので『離婚したほうがいいのではないか』と進言したんだけど、離婚に向かったのはそれから10年は経っている。船越さんのマネージャーに暴行を振るったことまであって、大変でした」
17年に調停離婚が成立。「マツイ棒」がなくとも、やっときれいに片が付いたようだ。