3度の三冠王に輝いた落合博満氏の「神主打法」は、死球を恐れ、改良を重ねた結果に編み出された独特な打法だと言われている。
落合氏が最も死球を受けたのは、1981年と94年の各6回。2リーグ制後に三冠王を獲得した日本人選手を例に比較すると、野村克也氏は72年の11回、王貞治氏は62年の12回、松中信彦氏は2002年の17回と、落合氏の被死球数がグンと少ないのがわかる。
その落合氏が巨人から日本ハムに移籍した97年に、1打席だけ投手として対戦経験があるという倉野信次氏が、元巨人、MLBでも活躍した上原浩治氏のYouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」(4月25日付け投稿回)に出演し、エピソードを明かした。
倉野氏は96年ドラフト4位で福岡ダイエーホークス入団、落合氏との対戦はルーキーイヤーにあたる。「笑ってしまうんですけど」と振り返った話は…。
マウンド上で投球練習する倉野氏のボールが緊張のあまり「ボンボン抜けるんですよ」だったそうで、それを打席に入る前に見ていた落合氏が「あれ大丈夫か…?」との思いから、しきりに首を捻っていたという。
そして、いざ対戦。するとやはり落合氏の顔付近へと抜けたボールになり、のけ反ってよけた落合氏が首を痛める事態に。いったん治療でベンチに下がり、打席に戻って来た落合氏を見た瞬間、倉野氏は「もうビビッてしまって…。結果は余裕のフォアボールでした」。爆笑を誘われつつも、「なんとなくわかりますね。技術的なことじゃなくて、精神的なものですもんね」と、上原氏は投手心理を口にした。
倉野氏は現役引退後にホークスの投手コーチに就任し、千賀滉大など一線級の投手を育てている。落合氏との対戦で培ったルーキー時の貴重な経験値も受け継がれているに違いない。
(所ひで/ユーチューブライター)