3年ぶりに緊急事態宣言もまん防(蔓延防止等重点措置)もなく、2022年GW(ゴールデンウイーク)は謳歌され、過ぎ去った。コロナ禍はやり過ごされ、プーチンの狂気さえも海の向こうの光景に見えつつある令和4年5月である。
されど「臨終」は、傍らに横たわることを止めない。ならば、著名人の墓碑銘を紐解くのも悪くはないだろう。
1991年5月16日、中島葵が死去。享年45。
ブラウン管であれ銀幕であれ、忘れられない存在感を残す女優がいる。その顔を見れば、その時代に引きずり込まれる「底なし沼」のような一群。中島葵もそのひとりである。
文学座の座員として舞台に立ち、テレビにも映画にも出演作は数多いが、時代の空気感を色濃くまとう作品として、「OL日記 濡れた札束」(監督:加藤彰)がある。
主演は中島、公開は1974年2月6日。昭和49年の作品である。3月にフィリピン・ルバング島で小野田寛郎元少尉が発見され、8月には、東アジア反日武装戦線「狼」による「三菱重工ビル爆破事件が起きている。戦後30年を経てもなお、戦争の傷は生々しく、過激派による無差別爆弾テロが現実だった時代。
映画は公開前年の1973年10月21日に発覚した「滋賀銀行9億円横領事件」をモチーフに描かれる。犯行に及んだ女子行員を演じるのが、中島である。
「その年で初めてなんだね、君は」と、初体験の相手となった行員の男につぶやかれる中島。太腿の肉に食い込むストッキングと男の穿くももひきが、時代を映して艶めく。そして出会う運命の男がタクシー運転手であり、中島はこの男に大金を貢ぐことになるのである。
その道行きを彩るのが、愛欲の嵐。全編が性行為につぐ性行為。あらゆる体勢が試され、しかし、中島はせつなくも哀しく声を押し殺し、悶え、快楽の虜になるのである。画面いっぱいに映る、快楽に委ねるその顔が、いよいよ綺麗に、匂うように美しくなる。
中島の小さなバストトップが可愛らしい。時に表情を変えるバストトップの愛らしさが、中島演じる女子行員の心情にオーバーラップし、切なさをそそるのである。
さて、映画も実際の事件と同じく、憐れな結末を迎えることになるのだが、作品全体を覆う「寂寥感」が時代の空気を映して余りある。
この年、田中角栄が退陣し、長嶋茂雄は引退。経済は戦後初のマイナス成長であった。
思えば映画本編中に、戦後を走り続けたニッポンを象徴する吉田茂、岸信介、佐藤栄作の画像と本人の音声がインサートされるのだ。
昭和天皇の玉音放送が流れ、1970年11月25日の自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監部バルコニーでの、三島由紀夫の演説の音声も収録されている。
映画全編に「戦後ニッポンの虚妄」への呪詛が読み取れる、異色作でもある。
なお、中島の祖父が有島武郎であり、父が森雅之であることは意外に知られていない。