表舞台から姿を消した歌手や俳優、タレントが一世を風靡した後、どんな生活をしているのか。それはファンの興味をそそるものだ。
近年、テレビのバラエティー番組でもよく扱われるようになった「あの人は今」だが、実はこれ、以前は週刊誌の定番企画だった。
「紅白を彩った歌手たちは今…」というテーマで、私が元キャンディーズの藤村美樹を直撃取材したのは、1988年の冬だった。
キャンディーズは1973年、「あなたに夢中」でデビューした伊藤蘭(ラン)、田中好子(スー)、藤村(ミキ)によるトリオ。1976年に発売され、初のNHK紅白歌合戦の切符を手にした曲が、9枚目のシングル「春一番」だった。
だが、キャンディーズはこの曲の発売から2年後の1978年4月4日、「いちばんいい時に解散しようね」というデビュー当時からの約束通り、後楽園球場でのラストコンサートを最後に解散。とはいえ、予想通りに伊藤と田中が芸能界にカムバックした。藤村も2年遅れた1983年、ソロ歌手として芸能界に復帰を果たす。
しかしその後、芸能プロ社長の夫と結婚した彼女は、きっぱりと芸能界から引退。そこで取材当日は、買い物に出かける時間帯を見計らい、都内の自宅を訪ねた。
するとほどなくして、ショートカットに丸ぶちメガネをかけた藤村が、2人の娘を自転車の前後に乗せて帰宅。幼稚園へ迎えに行っていたようだ。
私が名刺を出して取材要件を伝えると、戸惑いながらも、2人の子育てに没頭する毎日で芸能界復帰は全く考えていないこと、元メンバーとの交流は解散後も続いていて、年に数回は伊藤の自宅に集まって夜中まで話に花を咲かせ、最後には必ず写真撮影をするのが恒例になっていることなどを、笑顔を交えて話してくれたのだった。
そんな直撃取材から二十数年を経た2011年4月25日、キャンディーズの元メンバー、スーちゃんの葬儀で、涙ながらに弔辞を読む藤村の姿を見た。
田中は20年近く乳ガンを患い、公表せずに治療を続けていた。危篤状態の中、伊藤と藤村が病室に呼ばれ、田中の名前を呼び続けたという。
葬儀後の会見で藤村は、
「3人でおばあちゃんになるまで、恒例の集合写真を撮りたかった」
と話し、長年にわたる病魔との闘いをねぎらった。亡くなった当日の様子にも言及し、
「天国での再会を信じて、その時が来るまで日々を大切に生きていくと、亡き友に約束しています。私たちは永遠にキャンディーズです」
そう続ける彼女の言葉が、往年のファンたちの涙を誘った。それは東京に「春一番」が吹いてから、ちょうど1カ月ほど後の出来事だった。
山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。