落合中日で大きく成長した谷繁だが、その才能を開花させたのは、横浜時代のことだ。中でも日本一を経験した98年にチームを率いていた権藤博は、今でも「捕手・谷繁」を高く評価している。
その権藤が、谷繁の中日監督決定の直後、こんなアドバイスをしたことがある。今でも谷繁の心の中で深く刻まれている言葉だ。
「監督として、『何もしない』と言われるのが、最大の名誉。やるのは選手だから。あなたは監督である前に選手として一番だから」
捕手としての力量は誰もが認めるところ。中日に移籍してからは、よき先輩として、若手選手の指導も率先してきた。谷繁を中日にFAで獲得した時の監督・山田久志は「よそから来たからといって、遠慮なく若い投手たちを叱って教育してくれた。監督にとってみると、とてもありがたい選手だった」と、谷繁のリーダーシップに期待を込める。
新天地に入って自分の意見をハッキリ言い、「なぜあの投球をしたのか」と周囲の目を気にすることなくベンチで意見することで、投手陣との信頼関係を築いてきた谷繁。
その熱血漢ゆえ、過去には選手と衝突したこともある。だが、生え抜き組が幅を利かしていたチーム内でその存在感を示して、中日の野球を変えていった男が、今度は自分が指揮を執った時、「監督にとってありがたい存在」になりうる選手が新たに誕生するのか。その点も今後の中日復活のキーポイントとなるだろう。昨シーズンも、戦いを挑んでいない若手に対しては、ついベンチで怒号を浴びせてしまったケースもあったという。特に自分の後継者となる捕手に対しては、厳しい一面もあるというから、監督としての忍耐が今後、求められることになりそうだ。
「選手を怒りすぎるなよ。監督なんだから」
落合が谷繁に贈った唯一のアドバイスを、きっと心に刻んでいるに違いない。
課題はまだある。選手のみならず、頼りになるコーチ陣との関係も、これから焦点になりそうだ。落合監督は自分がコーチを選ぶ時には、絶対に自分よりも年上のコーチを使うことはしなかった。だが、谷繁政権のコーチ陣たちは皆、年上ばかり。ヘッドの森は16歳も離れている。いくら“おしん捕手”として耐えることには慣れているといっても、選手ばかりか監督として活躍する以上、息抜きの場所がないのも現実だ。それだけに、長いシーズンをどうくぐり抜けるかも大きなポイントとなるだろう。
ともかく谷繁自身は、「自分のやってきた時代に戻ればチーム再生が可能」という“落合流”を踏襲することを宣言しているが、その道のりは険しいと言わざるをえない。ほとんど補強らしい補強をせずに、チームの選手の力を引き出して勝利する──挫折と栄光を繰り返してきた谷繁野球の集大成が、いよいよ始まる。