広島カープ時代に「巨人キラー」の異名を取った左腕・川口和久氏。1983年、自身のキャリアハイとなる15勝を挙げるも、翌84年は前半戦で1勝しかできずに折り返した。しかし後半戦で7勝を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献している。
この成長の秘密には、左投手の先駆者・江夏豊氏の存在があったそうだ。高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉で、川口氏自ら明かした(5月14日付け投稿回)ところによると…。
右打者に対して、インコースの切れ味鋭いストレート、アウトコースの緩いカーブで打ち取ってきた川口氏。江夏氏と偶然に顔を合わせた喫茶店で、
「右打者のアウトコースに、(ストレートで)コントロールをつけないと、もうこれからは勝てん、ってことを言われたんですよ」
一度は2軍に落とされるも、アウトコースのコントロールに磨きをかけ、84年後半の快進撃へと繋がったのだ。
実は練習でどんなに投げ込みを続けても要領を得なかったという川口氏だが、200球ほど投げて、ヘトヘトになった際のこと。
本来はダイナミックさを欠かさないようにステップの歩幅を広めに取るそうだが、疲労のあまり、
「体が後ろで止まって、手だけでピュッといった時に、アウトコースにピシッて決まったんですよ」
先駆者の助言もさることながら、その努力が実を結んだのだろう。「練習はウソをつかない」を体現した秘話だった。
(所ひで/ユーチューブライター)