主に広島で活躍した元プロ野球選手であり、1975年からは広島で監督を務め、リーグ優勝4回、日本一に3回導いた、古葉竹識氏(故人)。
その古葉氏の初めての日本一は、近鉄バファローズと日本シリーズで戦った79年。3勝3敗で迎えた第7戦は、「4対3」の1点差リードの場面、9回裏のマウンドにリリーフで上がった江夏豊氏が、21球で劇的勝利をおさめたことから、後に〈江夏の21球〉と称され、人々の記憶に刻まれることとなった。
この〈江夏の21球〉を振り返ると、1球目に先頭バッターに中前打を放たれ、2人目のバッターは、1塁ランナーが盗塁と相手のエラーで三塁に進塁したのを受け、四球で1塁へ…この6球目終了の時点で、広島サイドは古葉監督の指示により、北別府学氏と池谷公二郎氏がグラウンド脇のブルペンで投球練習を開始しており、これが江夏氏の闘争本能に火をつけたとも囁かれている。
この試合でショートを守っていた、元広島・高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉、3月22日付け投稿回に、池谷氏が出演し、この説について触れる場面があった。
「古葉監督の江夏さんを鼓舞するための考えじゃなかったのか?」とスタッフから問われると、「それはないよね」「それはないと思うよ」と高橋、池谷の両氏が否定。江夏氏の性格を知っていれば、他のピッチャーを目の前に立たせることは、むしろあり得ないことであり、「(古葉監督は)ある面では焦ったんだろうね」と、高橋氏は回顧した。
逆転されれば投げる機会はなく、同点で延長に入るなら、次の広島の攻撃時に肩を作れば良いことから、「(今)なんのために(ブルペンで)投げるのか?」と疑問だったとも語る池谷氏。当時を知る両氏の発言からも、名将・古葉氏にも負けられない大一番に焦りがあったというのが真実だろうか…?
(ユーチューブライター・所ひで)