もちろん、前人未到の挑戦者にも興味津々だ。中でも、投手と野手の「二刀流」で大車輪の活躍を見せるエンゼルス・大谷翔平(27)に熱いまなざしを送る。
「日本ハム時代から、公私にわたって野球一筋の姿勢に惚れ込んでいました。初めて1番・投手で起用された16年7月3日のソフトバンク戦で、先頭打者ホームランを放った時もミスターは大はしゃぎでした。同日はミスターの名前が冠になったプロゴルフツアーの最終日でしたが、帰りのハイヤーを待たせてまで、ゴルフ記者たちに大谷の活躍について熱弁を振るっていましたよ」(球界関係者)
昨季、日本人大リーガーのシーズン本塁打記録こそ抜かれてしまったが、ミスターが最も心血注いだ愛弟子といえば松井秀喜氏(48)だ。
「長距離打者の素質以上に、やはり野球に対する真面目さをミスターは気に入っていた。時には、田園調布にある自宅の地下室に呼んでマンツーマンで打撃指導をすることもありました。夜中に松井が寮に帰っても休む間もなく『今から服を脱いで素振りをしなさい』と、ミスターから電話指令が入るのは日常茶飯事。ミスターは受話器越しに素振りの音を確認するのですが、バットの風切り音ではなくて、腰を回す際にキン○マが腿にバチッと当たる音を聞いていたともっぱらです」(スポーツ紙デスク)
この一風変わった練習こそ、“巨人4番1000日計画”の要所となっていた。かつて 巨人コーチ時代に右腕としてミスターを支えた黒江透修氏が明かす。
「バットの軌道を最短距離にして、インパクトのタイミングで最大出力を出す、チョーさんなりの指導方法でしょう。第1次監督時代には、球場の通路や宿舎の風呂場など、思いついたタイミングで選手たちに指導をしていました」
時間や場所にこだわりがないのもミスター流。もっとも、松井に先んじてミスターの寵愛を受けた第1号は、他ならぬ篠塚和典氏(64・当時は利夫)だった。
「アマチュア時代から素質に満ち溢れていた。甲子園でも木製バットでスタンドまで打球を飛ばしていたから『クロちゃん! 篠塚ってのはいい選手だねぇ~』なんてベタ褒めでしたね。何よりチョーさんをトリコにしたのは、篠塚の探求心旺盛な練習姿勢。会話の中で、新たに浮かんだ疑問やアイデアをコーチや監督に投げかけてくるんです。特別、直すところもないのに付きっきりで指導していましたよ」(黒江氏)
ミスターが目をかけた一番弟子は稀代のアベレージヒッターだったのである。