時代劇のヒーロー、遠山の金さんの「桜吹雪」は、意外とショボかった──。
遠山の金さんは、遠山金四郎景元という旗本で、江戸北町奉行(写真=今の東京駅近くにあった)や大目付、江戸南町奉行として手腕を発揮した人物である。官位は従五位下左衛門少尉と高い。
金さんの名前を有名にしているのが、映画やテレビの人気時代劇「遠山の金さん」だろう。「桜吹雪」の彫り物をした遊び人が、事件を解決するため大暴れして捕縛に協力する。
実は金さんの正体は町奉行で、お裁きの最後に「この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろ」と啖呵を切って片肌を脱ぎ、桜の彫り物を見せつける。その彫り物を目の当たりにした悪人たちは、金さんと町奉行が同一人物だと悟り、恐れ入るというストーリーだ。
史実には、金さんがお裁きの最後に片肌やもろ肌を晒した証拠はない。「桜吹雪」ではなく、手紙を咥えた生首だったという説もあるが、彫り物自体、していたとの公式記録も一切残っていない。
金さんがしていたという刺青とは罪人に施されるものだ。時代劇では左腕の上腕部を一周する単色の1本ないし2本の線を入れられた、島帰りの人物が登場する。この線が刺青で、「桜吹雪」のような色彩豊かな絵柄のものは通常、彫り物と呼ばれる。金さんは青年時代に放蕩三昧の生活を送り、無頼の輩と交わっていた。そのため、いたずら心で博徒がする「博徒彫り」をした、という俗説はある。
あったとしても、片肌を一面に覆ったものではなく、「片腕だけ」「桜の花びら1枚だけ」という程度だったらしい。今でいう小さいタトゥーといったところか。
ただ、裁きの場であるお白州で「桜の花びら1枚」だけみせても、悪人は恐れ入らない。もちろん、絵にもならないだろう。
当時、金さんは天保の改革の推進派。庶民の娯楽である芝居小屋を廃止しようとして悪名高かった鳥居耀蔵とは、対立関係にあった。
そのため、江戸っ子は金さん贔屓で、いつしか庶民のヒーローに祭り上げられていった。
後世に語り継がれるようになった際に話が盛られていき、「桜吹雪の金さん」が定着していったということだろう。
(道嶋慶)