──休みなく働いて、自分の時間は?
「ないです。それに、修行期間だから無給です。舞妓になってもそれは変わりません。貰えても、女将さんからのお小遣い程度です。日常の雑務をこなしながら芸事をとことんやり、様々なことを習得。女将さんに認めてもらえれば、やっと舞妓で《店出し》させていただけます」
──今ツイッターで、舞妓さんの実態がひどいと話題になっていますが。
「そうですね。16歳で浴びるほどのお酒を飲みました。飲んだというより、飲まされました。ビール、日本酒、焼酎、ワイン、ウォッカ‥‥お客さんが好むお酒を飲まなければいけない。もし飲まなければ、売り上げにつながらないから、女将さんにどやしつけられます」
──未成年にもかかわらず、そのほかにも強要されたことはある?
「休日にお昼から外出して一緒に遊びに行ったり、服を買ってもらったり、食事したりする《ご飯食べ》。同伴のようなものですが、時間が長く、ここでも昼からお酒を飲まされます。お客さんはだいたい行きつけのお店に誘ってくるので、店主やスタッフも見て見ぬふり。真っ昼間からお客さんにホテルに誘われることもありました」
──《お風呂入り》という言葉があるとも聞いたけど。
「私の場合は、女将さんと一緒に金沢の温泉に誘われました。広い露天風呂付きの宿で、女将さんが一緒に入ると言っていたので渋々入ったのに、女将さんはまったく入ってこなかった。お客さんと2人で入浴していると『タオルを巻いて入っちゃダメだ』『ちょっと立ってごらん』などと、露骨なセクハラに晒されて‥‥」
──中でも、最も寒気がするシステムは?
「《水揚げ》ですね。高額の謝礼で処女を売るんです。私は1000万円でした。まぁ冗談だろうと思っていたんですが、女将さんの目は本気でした。16歳の時に相手は50代後半の会社役員で‥‥。お金は私が直接受け取ったわけではないので、本当の額はわかりません。これは慣習になっていたようで、舞妓さんの初体験の相手をする男性は《水揚げ旦那》になります。その男性は、芸妓を引退して店なりを持つまで、ずっと金銭的な後押しをする。今ではこんなことをやっていないと思いますけどね」
──客が求めるままのサービスを女将さんが舞妓さんに強要するのはどうして?
「舞妓ひとりを仕込みさんとして育てて店出しするまでに、数千万円のお金がかかります。置屋にとっては、とにかくお金を集めないといけないんです。20代に入って芸妓になれば、独立までのサポートをずっと置屋がします。とにかく水揚げでもなんでもしろ、ということじゃないでしょうか」
その世界の中では、多くの疑問を持たずに生きていくシステムが確立していたようだ。それでも、M美さんは17の時に逃げ出した。
「アルコール漬けも重なって、もう精神的に耐えられなくなりました。荷物をまとめて飛び出してしまえば、追ってくることはなかった。もちろん実家に帰ることもなく、年齢をごまかしてキャバクラで働くようになりました。でも、どこに誰がいるかわからないから、お客さんに舞妓をやっていた過去なんて言いませんよ」
現在の五花街所属の舞妓や芸妓の人数は300人程度。全てが旧態依然のシステムであるはずはないが、日本から舞妓や芸妓の伝統文化が消滅してしまう事態になっては取り返しがつかなくなる──。
■京都の五花街とは?
京都の五花街(祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒)には、独自色やしきたりに違いがある。他府県の人々にはなかなかわからない、その違いを解説しよう。
祇園甲部:「一力亭」など高級店が立ち並び、有名人や著名人、京都の地場企業の役員などがやってくる。少し敷居の高い花街で、舞踏公演「都をどり」が有名。
祇園東:こちらも有名人や著名人、企業の役員などが多く、ヤクザや反社、関連企業の役員は入れない。祇園甲部をライバル視している。「祇園をどり」で有名。
宮川町:比較的にお手軽感があるとする花街関係者も多く、暴力団関係者や反社の姿も見かける。「京おどり」が有名。
先斗町:映画やテレビドラマの撮影などができない。格式高い花街で、組合の関係で厳しいという。「鴨川をどり」が有名。
上七軒:繁華街とは違う、少し離れた北野天満宮近くにあるため、他の花街とは一線を画す。お忍び感覚で、春は「北野をどり」、夏はビアガーデンなどで舞妓や芸妓と遊ぶことができる。「北野をどり」は14日間と他の花街よりも短い。京都最古の花街となる。
京都の花街はコロナ禍を受けて瀕死状態にあり、現在はリーズナブルな価格で舞妓、芸妓さんと気軽に遊べる状態にあるという。