2014年11月、肺炎のため62歳で急死──。伝説のロックバンド「キャロル」元メンバーのジョニー大倉である。
そんな大倉の音楽葬「JOHNNY FOREVER」が、翌15年4月13日に神奈川県の「川崎クラブチッタ」で開催されることに。前日の12日、発起人を代表して、元キャロルのユウ岡崎、クールスの村山一海、横浜銀蝿の翔らが記者会見を行った。
4月13日はキャロル解散から40周年にあたる日。そんな記念日とあり、翔は、
「ジョニーさんだから普通の葬儀だけではなく、天国という永遠のステージに送り出してやろうという話になってね。で、やるならその日にジョニーさんの故郷で、キャロルが誕生したクラブチッタのステージで、仲間たちを集めてやろうということになったんです」
音楽葬開催の理由を、そう明かしたのだった。
70年代に一世を風靡したキャロルは、矢沢永吉が作ったメンバー募集の貼り紙を見た大倉が参加したことが、結成のきっかけだった。だが音楽的方向性の違いから、数々の名曲を残すも、わずか2年で解散。その後、長きにわたり。大倉と矢沢の確執が伝えられていた。
会見で矢沢出演に触れた村山は、
「事務所の方には、話は通っています。本人がどう考えてるかは分からないけど、ぜひ来てほしいね。いろんなしがらみがあると思いますが、出てほしい。永ちゃん待ってるよ!」
と呼びかけた。だが当日のステージに、矢沢の姿はなかった。
ロックンローラーという印象がある大倉だが、当時は役者としても活躍。映画「ハワイアンドリーム」「チンピラ」での好演もあり、88年の大河ドラマ「武田信玄」では準主役に抜擢され、個性派俳優として注目される存在でもあった。
しかし、そんな矢先の87年10月25日、衝撃的な出来事が起こる。大倉が宿泊先の富山県「富山キャッスルホテル」7階の窓枠にぶら下がり、深夜懸垂中に9メートル下の4階屋上に転落。両足骨折、第一腰椎骨折で、全治6カ月の重傷を負ったのである。
一報を受け、さっそく、富山警察署を取材すると、
「本人の話では、自室の押し窓を開けて腰を掛け、両手で窓枠をつかみながら臀部を外に出したところ、酔いもあって手を滑らせてしまったと。むろん、まずは他殺のおそれはなかったのか、という点から事情聴取しましたが、そのセンはなった。所持品検査でも(クスリなど)何も出てきていないし、自死のセンもないので、事故だと判断しました」
幸い回復は早かったが、まかり間違えれば命を落としかねない事故だったことは間違いない。ただ、皮肉にも連日の報道で「ジョニー大倉」の名前が音楽や映画ファンだけでなく、一般視聴者にも広く知られるように…そんな騒動だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。